「賢い〇〇生活」とは。
Netflixをご覧の方でこの〇〇の分かる人は、きっと韓国ドラマを見ていますね…
今回は賢い〇〇生活について話そうと思います。
生きるって正直ドラマみたいに毎日が激動ではなく、日々淡々としてると思いませんか?
激動なのもストレスですが、日々淡々としてる事もストレス。
無い物ねだりですよね。私たち。
このドラマは、日々淡々としながらも、すべての人が一生懸命自分の人生を生きているドラマです。
今は賢い医師生活というドラマを見ていますが、(原題:賢い監房生活 もあります)
8話で、誰かを褒める(認める)ことについての大切さを感じたのでそれについて書こうと思います。
8話で、医師の仕事が辛く、体を壊して音信不通になってしまった同僚のせいで、毎日当直を強いられ、2人分の仕事を1人でこなしたミナ。
そして何事もなかったように帰ってきた同僚は、心配をされ、病み上がりだからと労われ、結局当直をさせられるミナは退職届を目の前に退職さえも考えていた。
しかしその時、緊急コールがなり、患者は大量出血をしお腹の子の命にも危険が迫る。
そうした中、産婦人科の教授は帰宅し、他の教授たちも執刀しているためレジデント2年目のミナしか手術できる人はいなかった。
結末としては教授が間に合い患者もお腹の子どもも助かるのですが、手術後、教授はミナに、
「今日は立派だった。君の苦労はちゃんとわかっていたけれど、どう反応していいのかわからなかった、本当にごめん。君はよくやった。君は必ず良い医者なる。」と認めてくれたのでした。
大人になると、仕事をして当たり前、家事をして当たり前、子育てして当たり前になり、誰も褒めてくれません。
「仕事してて偉いね。」
そんな言葉、私の知る限り聞いたことはありません。
だって、当たり前だから。
しかし、本当に当たり前なのでしょうか。
私たちは生きてるだけで尊敬されるべき存在だと思います。それが例え無職であろうと仕事をしていようとも。
福沢諭吉の言葉に、天は人の上にひとをつくらず、人の下に人をつくらず、とあります。
つまり誰もが平等ということですよね。
仕事をしてる人も、してない人も
家事や子育てをしてる人もしていない人も、
皆立派な存在なのです。
誰にも分かってもらえないと心を閉ざす人が増えないよう、お互いを認めあい、もっと素直に
すごいね!良いね!頑張ってるね!偉いね!
と、褒める世の中にしていけば、
淡々とした日々も、激動の日々の中にも、生きがいが見出せるようになるのではないでしょうか?
誰かに褒められることもないのに、誰かを褒めることは難しいかもしれないけれど、もっと誰かを認めたいし、褒めたいと心から思います。
待つのではなく、自分からはじめると、自分も気持ちよくなれたりして。
決して上からでも下からでもなく、
尊敬を互いにできる世の中に、
私はしたいです。
賢い生活、送ってみませんか?