奇跡体験!アンビリバボーを見た。 ドジャース
今日アンビリバボーで紹介していたドジャースで大谷選手のような日本人選手が活躍できてる大きな存在が生原昭宏という方だ。
生原昭宏さんはプロ選手でも著名人でもなくただ野球好きの人だった。1937年に生まれて少年時代から野球をしていた、大学時代にキャッチーでリーダー的な存在だったが肩を壊して好きな野球ができなくなった。
野球選手という夢はあったもののプレイできなく挫折していたが次の目標は野球チームの監督になって指導することだった、スパルタ教育を持ち味にして大学チームを弱小から強者にまで仕上げた。
だが時代がスパルタは良くないとなり解雇された。またしても好きな野球ができなくなっただったが、次の目標はスパルタしかやり方を知らないのでメジャーのやり方を勉強したいと思い、メジャーのパイプをもっている大物の野球職員と面会して招待状を貰うことだったが、その職員とは面会したこもないまったく無関係な関係だったので何回も職員の家に行ったが面会を断られた。だが諦めずに生原昭宏の妻、奥さんを使ってでも面会の約束を取り付けた。
ここで招待状をもらい二年間だけドジャースに行く。
勉強がメインなので給料は貰えずに当時の1500万を払って海外に飛んだ。まずマイナーリーグのドジャースのオーナーの息子ピーターさんがマイナーリーグのドジャースでの管理人の下で働く、だが野球を勉強しにきてるのに雑用係になり英語という言葉の壁に何回もミスを連発をする。
二年間の前にお払い箱(クビ)にされるかと思いきやアメリカに招待して奥さんや家族を連れてきて心の余裕を作らせるというなんと優しいオーナーやピーターに感謝した。
ここで心の余裕ができて朝四時にドジャースの職員の机で野球関連が載っている新聞を読み言葉の壁を克服していき、ミスも少なくなりつつマイナーのドジャースの選手達にも認められた。
二年間を終えるかと思いきや正社員にする話をもらい、日本のプロ選手達を海外で活躍させたり、日本で大活躍する人を育てたりオリンピックの野球を追加することに大きく貢献した。
ドジャースで働き続けて55歳にして病気で亡くなった。
感想
今日久しぶりにアンビリバボーを見たけど生原昭宏という生き方に泣いてしまいました。すごく簡単にあらすじを書いていたんだけど凄く途中面倒くさいと思いつつ書いてたけど、文字を書くならこの面倒いとは思わないかもしれませんね。
とにかく挫折する人生が多いと思うけど目標、夢を捨てずに作りづけて行動を続けていきたいと感じました。