シリーズ「霊の中に生きる」 No.4人の霊(4) ⑭

シリーズ「霊の中に生きる」 No.4
人の霊(4) ⑭

人の霊(4) - 牧師の書斎

乳と蜜の流れる大地ミツペラモンからの朝明け

2023.2.19(撮影)

聖書の最高の教えは、
「霊の中で生きる」ことです。

時は「過越の祭り」の時、イェシュアはこのベテスダに立ち寄り、三十八年間も病気であった人に声をかけられたのです。

イェシュアの語ることばは「霊であり、いのち」です。

良くなりたいか」というイェシュアのことばも信仰を呼び起こす「霊のことば」です。

彼は肉の現実を話しますが、イェシュアはその人の中に霊のことばを語りました。それが「起きて床を取り上げ、歩きなさい」でした。

するとどうでしょう。その人は起きて床を取り上げて、歩き出したのです。信仰とはキリストのことば(レーマ)を聞くことから始まるのです。

霊の中でキリストのことばを聞くとは、肉(理解の型紙をもった心)で聞くのではないということです。心では理解できないことでも、それを信じることによって神の力がその人に解き放たれるのです。

信仰とはキリストのことばを人の霊の中で聞くことで生じるのです。心ではありません。心は曲者です。心はサタンが足場を築いている場であり、心に従うと信じることはできなくなるのです。

イェシュアのことば「起きて床を取り上げ、歩きなさい」は「霊であり、いのち」をもたらすレーマです。

このフレーズには、三つの動詞による命令形があります。

(1)「起きて」は「起きる」(「クーム」קוּם)の現在命令形。復活を意味する語彙です。つまり、「あなたがキリストとともによみがえらされたこと」を信じることを命じています。


(2)「(床を)取り上げ」は「取り上げる」(「ラーカハ」לָקַח)のアオリスト命令形。「床」は「眠る(死ぬ)」を意味する名詞「シャーハブ」(שָׁכַב)で、「床」はこれまで自分を縛ってきた諸力を意味します。

それを主体的・自覚的に取り払うことを意味しています。「ラーカハ」は結婚用語でもあります。

それはキリストと結びつくことを意味するのです。

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