日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ 。シリーズ『出エジプト記』に読む神のご計画 13. 水とパンという「生存の保障」③
日本の残されし民より未来の全人類
(選ばれし民)へ 。
シリーズ『出エジプト記』に読む神のご計画
13. 水とパンという「生存の保障」③
2023.10.1~8 The 2nd Celebrate Sukkot
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出エジプト記 15章22節~17章7節
『“神に召された一人の偉大な指導者”が誕生すると、奴隷状況にあった一つの民族が解放されて、神の使命に生きる偉大な民族と変わりゆきます。その最初の選びがイスラエル民族にありました』。
今回は「13. 水とパンという「生存の保障」」③について学びます。
水の問題です。
水は生命の根源です。先ず王(為政者)にとって解決しなければならない問題は、ご自身の民への水の供給です。これは霊的な意味においても同様です。
では、
出エジプト記15章〜
24
民はモーセにつぶやいて、「私たちは何を飲んだらよいのですか」と言った。
25
モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示された(יָרָה)ので、モーセはそれを水に投げ入れた(שָׁלַח)。
すると、水は甘くなった(מָתַק)。
その所で主は彼に、おきて(חֹק)と定め(מִשְׁפָּט)を授け、その所で彼を試みられた。
25節に「主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。」とあります。
苦い水を飲める水に変える方法として、主はモーセに一本の木を示しています。
この「示す」というヘブル語は「ヤーラー」(יָרָה)で、本来は「投げる」という意味ですが、そこから「示す、教える、指示する、方向づける」という意味にもなり、「律法」を意味する「トーラー」(תּוֹרָה)の語源です。
つまり、神が示したこの一本の木とは「トーラー」を象徴しているのです。
「トーラー」は神が人に示すみおしえであり、神の民が神の民としてふさわしく生きていくために無くてはならない道標です。
モーセに示された「一本の木」が、苦い水を甘い水に変えたのは、神の「トーラー」に従って生きることが、神の民としての喜びとなることの「型」と言えます。
それは神の民が烏合の衆とならないためです。
「甘くなった」と訳された「マータク」(מָתַק)は、神と神の民の関係が楽しい快いものとなることを意味しています。
ちなみに、「水」と「木」の関係は、エデンの園に流れる水の流れとそこにあった木(「いのちの木」と「善悪を知る知識の木」)にも、またヨハネ黙示録22章にある「いのちの水の川」とその両岸にある「いのちの木」にも見ることができます。
新しいエルサレム神の民が神の教えによって生きる世界なのです。
神の民の旅路は、神によって立てられた指導者モーセに率いられて行きますが、今回の民の「つぶやき」は彼らの心の中にある「苦い根が芽を出した」きっかけにすぎませんでした。
モーセに対するつぶやきは、すなわち、「神」に対する不信を意味します。
マラの水が苦かったのは、実は彼らに対する神への信仰のテストだったのです。つまり、神を信じて生きるかどうかの試みでした。