日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ 。新シリーズ『神の御住まい(幕屋)に在る神のご計画』④
日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ 。
新シリーズ『神の御住まい(幕屋)に在る神のご計画』④
『“神に召された一人の偉大な指導者”が誕生すると、奴隷状況にあった一つの民族が解放されて、神の使命に生きる偉大な民族と変わりゆきます。その最初の選びがイスラエル民族にありました』。
前回から新シリーズに入っています。
神に出会い神の力に加持されたカリスマ的指導者、神の人、モーセの秘密力こそホレブの山での神と顔と顔を合わせての出会いの経験でした。
後に出エジプトしたイスラエルの民はこのモーセを指導者として40年間の荒野生活を通ってきたことは前回のシリーズで学びました。
このイスラエルを導くモーセが常に神と顔と顔を合わせて交わっていた霊的な磁場が幕屋の中の最奥部(神の至聖所)にてでした。
今回がこの『幕屋』の学びの最後です。
関連する他の聖句
●出エジプト記25章8節に似た聖書箇所を拾ってみたいと思います。
(1)
【新改訳改訂第3版】
出エジプト記
29章45~46節
45
わたしはイスラエル人の間に住み(「シャーハン」שָׁכַן)、彼らの神となろう。
46
彼らは、わたしが彼らの神、【主】であり、彼らの間に住む(「シャーハン」שָׁכַן)ために、彼らをエジプトの地から連れ出した者であることを知るようになる。
わたしは彼らの神、【主】である。
(2)
【新改訳改訂第3版】
レビ記26章11~12節
11
わたしはあなたがたの間にわたしの住まい(「ミシュカーン」מִשְכָּן)を建てよう。
わたしはあなたがたを忌みきらわない。
12
わたしはあなたがたの間を歩もう。
わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。
(3)
【 新改訳第3版】
ヨハネの福音書1章14節a
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。
(「シャーハン」שָׁכַן)
וְהַדָּבָר לָבַשׁ בָּשָׂר וַיִּשְׁכֹּן בְּתוֹכֵנוּ
(ことばは肉を着て(まとい)、私たちのただ中に住まわれた)
(4)
【新改訳改訂第3版】
黙示録 7章15節
だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。
そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋(「ミシュカーン」מִשְכָּן)を張られるのです。
(5)
【新改訳改訂第3版】
黙示録 21章3節
そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。
「見よ。神の幕屋(「ミシュカーン」מִשְכָּן)が人とともにある。
神は彼らとともに住み(「シャーハン」שָׁכַן)、彼らはその民となる。
また、神ご自身が彼らとともにおられて、・・・」
●ヨハネの福音書1章14節の「住まわれた」と訳されたギリシア語は「スケーノー」(σκηνόω)のアオリストです。
この語彙は新約では黙示録に4回使われています。
(7:15/12:12/13:6/21:3)
また、この「住まわれた」は「仮庵となられた」ということを意味します。
ユダヤの「仮庵の祭り」は、イスラエルの民が出エジプト後、40年間荒野でテント暮らしをしていたことを記念する祭りです。
それは、“主の恵みなしには生きていくことはできないということを覚える”ための祭りですが、さらに“仮庵はイェシュアが地上に来られた事を象徴する祭り”でもあります。
●「スケーノー」(σκηνόω)の名詞は「スケーネー」(σκηνή)で、「天幕、幕屋、至聖所、神の住む天の聖所」を意味します。
同じく名詞の「スケーノーマ」(σκήνωμα)は、神の住まいとしての幕屋、
7:46
ダビデは、神の恵みをこうむり、そして、ヤコブの神のために宮を造営したいと願った。
7:47
けれども、じっさいにその宮を建てたのは、ソロモンであった。
7:48
しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。
預言者が言っているとおりである、
7:49
『主が仰せられる、どんな家をわたしのために建てるのか。わたしのいこいの場所は、どれか。天はわたしの王座、地はわたしの足台である。
7:50
これは皆わたしの手が造ったものではないか』。
(使徒7章46〜50節)
と魂の住む肉体としての幕屋、
1:13
わたしがこの幕屋にいる間、あなたがたに思い起させて、奮い立たせることが適当と思う。
1:14
それは、わたしたちの主イエス・キリストもわたしに示して下さったように、わたしのこの幕屋を脱ぎ去る時が間近であることを知っているからである。
(Ⅱペテロ1:13, 14)
があります。
同じく名詞の「スケーノス」(σκῆνος)も、人の魂の住む天幕、すなわち身体の意味で使われています。
5:1
わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。
5:4
この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。
それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。
(Ⅱコリント5:1, 4)
人の地上での幕屋(肉体)は、たかだか70~90年間住むだけのものですが、天からの住まいは永遠の家です。
●イェシュアの初臨は、神の御子がこの地上に人と共に住むために、仮庵となった出来事でした。
しかしイェシュアの再臨におけるメシア王国は、まさに神の幕屋(仮庵)が、千年の期間、地上に置かれるようなものです。
その時、全世界の人々が仮庵の祭りを祝うためにエルサレムに代表を送るとあります。
14:16
エルサレムに攻めて来たもろもろの国びとの残った者は、皆年々上って来て、王なる万軍の主を拝み、仮庵の祭を守るようになる。
(ゼカリヤ14:16)
このように、“「仮庵の祭り」は神と人が共に住むことを記念すると同時に、それを待望する時”でもあるのです。
「仮庵の祭り」はメシアの「初臨・再臨」と密接な関係を持っているのです。
したがって、ネヘミヤがヨシュアの時代から忘れ去られていたこの仮庵の祭りを復活させたように、イェシュアの誕生を12月のクリスマスにではなく、仮庵の祭りにおいて祝うことが、神のご計画においても、ヘブル的視点を回復するためにも、最も筋の通る話ではないでしょうか。
仮庵の祭りは、天地を創られた唯一まことの神であるイェシュアと人とが、共に永遠のシャーロームのうちに生きることを預言的に表わした祭りです。
次回からはこの仮庵の祭りについて学んでまいります。