シリーズ「霊の中に生きる」 No.5人の霊(6)②


義の日輪イェシュアは上る

人の霊(6) - 牧師の書斎

●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。

1. 人の霊に対する三一の神の手順

(1)

御父はすべての出発点

すべての源である御父、見えない方である御父がどのようにして私たちの中に住むのでしょうか。

このことは私たち霊の中に生きる者にとって
非常に大切なことです。

それは御父が御子の中にあることによってです。御子と御父は一つであり、御父は神のかたちである御子の中に啓示されているのです。

弟子のピリポは「主よ、私たちに父を見せてください」と言いました。するとイェシュアは「わたしを見た人は、父を見たのです」と言われました。

(ヨハネ14:8, 9)

12使徒の一人ピリポ


人は御子によって御父を見、御父に触れ、御父と交わることができるのです。御父はすべての出発点です。

(2)

御子の一連の出来事を通して

御子は“神ご自身の目に見えるかたち”です。

御子の受肉は百パーセントの神性と百パーセントの人性を含んだ不思議な存在です。

その御子が33年半の間、御父のみこころに従い、受洗を通して私たちを取り込んで一体化し、最初のアダムのすべての罪ののろいを受けて、十字架の上でそのさばきを受けられました。

このことによって、最後のアダムである御子の死は最初のアダムを終わらせたのです。

さらに三日目に御子は死からよみがえって、その日に「いのちを与える御霊」となって人の霊の中に入られたのです。

イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。

そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。」

(ヨハネ20:21〜20.22)

聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった。

最初にあったのは、霊のものではなく肉のものであって、その後に霊のものが来るのである。

(Ⅰコリント15:45〜15.46)

復活された御子は第三の天に昇られ、御父の右に着座されました。

すべての敵、支配、権力、権勢は今や御子の足の下にありますが、その“御子が私たちの霊の中にもおられる”ということが大事なことなのです。

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