『日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ』 シリーズ『出エジプト記』に読む神のご計画 第ニ章 ②
2.
ミデヤン逃亡へと至るいきさつ
神の民族のリーダーたるべき訓練
エジプトのプリンスであったモーセがなぜエジプトから逃亡しなければならなかったか。
「こうして日がたち、モーセがおとなになったとき、彼は・・・同胞であるひとりのヘブル人を、あるエジプト人が打っているのを見た。」
(11節)
このみことばにあるように、モーセがあることを「見た」ことから、予想外の方向へと展開していきます。モーセが同胞のために良かれと思ってしたことが、自分でも思いもしない形で、エジプトから逃亡しなければならなくなったのでした。
この2章には複雑なことが交錯しています。ここでラビたちと同様に腑に落ちない事を問いかけるとすれば、以下のような点です。
①
男児殺害の命令が出されているのに、なぜモーセの兄アロンは助かっているのか。
②
モーセはいつ自分がヘブル人だとわかったのか。
③
あるエジプト人がなぜあるひとりのヘブル人を打っていたのか。新改訳の11節の「打つ」と12節の「打ち殺す」とは訳語が異なりますが、原語は同じ動詞です。
果たして、打たれたヘブル人は殺されてしまったのか、それとも一命を取りとめたのか。
④
モーセがエジプト人を「打ち殺した」のは故意か、それとも予想外の事故か。
⑤
モーセがエジプト人を打ち殺したことがなぜ人々に知られてしまったのか。
⑥
パロがモーセをなぜ殺そうとしたのか。
⑦
そもそも、だれがパロにモーセがエジプト人を打ち殺したことを伝えたのか。
以上のような問いかけに対して、すべて回答を出す必要はありませんが、問いかけて考えることが、聖書を読む上で大切な事です。
「読む力」を養うには、結論を得ても得なくても、問いかけ続ける必要があります。