シリーズ「霊の中に生きる」 No.7人の霊(7) ③
シリーズ「霊の中に生きる」 No.7
人の霊(7) ③
●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。
さて、信仰とは、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
ヘブル人への手紙11章1節
ヘブル人への手紙11章1節に、信仰についての定義が記されています。
それによれば、「信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです」とあります。
これは同義的パラレリズムで書かれています。
「信仰は、望んでいることを保証し」とあります。
「望んでいること」とは、神のなされた数々の約束のことです。
信仰がそれを保証するとはどういうことでしょうか。
「保証」と訳されたギリシア語の「ヒュポスタシス」(ὑπόστασις)は substance, real being という意味で、「実体化、現実化」するという意味です。
そのことを「目に見えないものを確信させるもの」と言い換えています。
「確信させる」と訳された「エレコス」(ἔλεγχος)は目に見えないことを、目に見えるように証明するという意味です。
『実証』です。
実際に行動して証詞することです。
つまり、これらを合わせて理解するなら、信仰とは神の約束を目に見えるように現実化(実体化、実証化)することだと理解することが出来ます。
ローマ人への手紙でも、「信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現する」(10:17)と定義されています。
原文では「キリストについてのことば」ではなく、「キリストのことば(レーマ)」となっています。
まさにこれはヨハネが記しているイェシュアのことば、すなわち「わたしがあなたがたに話してきたことばは、霊であり、またいのちです」と同義です。
このように、キリストのことばを聞くことが信仰だとすれば、信仰はどこで始まるのでしょうか。信仰はどこで起こるのでしょうか。
それはたましいを経由することなく、人の霊の中でキリストのことばを聞くことを通して起こるのです。
人の霊の中には御霊が働きます。
御霊が働いて私たちをご自身の似姿へと変貌させてくださいます。
3:17 主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。
3:18 わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。
これは霊なる主の働きによるのである。
コリント後書3.17〜3.18
御霊はキリストのことばを常に指し示し、その意味することを教え諭す方です。
その方を「助け主」とイェシュアは語っています。(ヨハネ14:16, 26)
このような喜ばしい事実を、霊の中で聞くことによって信仰が生まれ、目には見えないことを実体化、実証化することになるのです。
十字架の死と復活によってなされた神の客観的事実を実体化、実証化していくことが、聖書のいう「信仰」なのです。
信仰は心ではなく、人の霊の中で起こります。
ですから、霊を生かすために、主の御名を呼び求めなければなりません。
そうするならば、神のことばが働いて信仰を生み出します。
肉(たましいとからだ)は死をもたらしますが、霊はいのちをもたらします。
信仰とはは真(ピシセス)、“まことなるもの”
天に在るありありとした実体を、実証することです。
預言者エリヤ
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