シリーズ「霊の中に生きる」 No.15人の魂(17)

シリーズ「霊の中に生きる」 No.15
人の魂(17)

新しくされたキリストの「思い」

「たましいの喜び」と「霊にある喜び」

●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。

シリーズ「霊の中に生きる」の第15回目です。

「人のたましい」について扱っております。
今日はその第17回目です。

人の魂 (2) - 牧師の書斎

2. 「たましいの喜び」と「霊にある喜び」

感情の中に「喜び」があります。これについても、イェシュアが「たましいによる喜び」と「霊による喜び」の違いについて語っています。その箇所を見てみましょう。

【新改訳2017】
ルカの福音書10章17~22節


17

さて、七十二人が喜んで(χαρά)帰って来て言った。

「主よ。あなたの御名を用いると、悪霊どもでさえ私たちに服従します。」


18

イエスは彼らに言われた。「サタンが稲妻のように天から落ちるのを、わたしは見ました。


19

確かにわたしはあなたがたに、蛇やサソリを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けました。ですから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。


20

しかし、霊どもがあなたがたに服従することを喜ぶ(χαίρω)のではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい(χαίρω)。」


21

ちょうどそのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。

「天地の主であられる父よ、あなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを、知恵ある者や賢い者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ、これはみこころにかなったことでした。

22

すべてのことが、わたしの父からわたしに渡されています。子がだれであるかは、父のほかはだれも知りません。また父がだれであるかは、子と、子が父を現そうと心に定めた者のほかは、だれも知りません。」

アーメン

ここでの「幼子たち」とは、イェシュアの弟子たちのことです。

弟子たちの喜びとイェシュアの喜びの違いが併記されています。

弟子たちの喜びは、『主よ。あなたの御名を用いると、悪霊どもでさえ私たちに服従します。』というものでした。

ところがイェシュアは、「霊どもがあなたがたに服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」と言われました。

これはどういうことでしょう。

弟子たちの「喜び」は目に見えることで引き起こされたものです。

そうした「喜び」はたましいに属するものです。

ですからイェシュアは、目に見えないことからもたらされる確かな「喜び」にこそ、目を留めるべきことを語られたのです。

たましいによる喜びは天気のようにすぐに変わってしまう、はかないものです。

確かに、弟子たちは霊的な事柄を目撃して喜んでいるのです。

しかしこれは霊から来る喜びではなく、たましいから来る喜びに過ぎないのです。

目に見えるものによって、あるいは、耳にすることによって引き起こされる感情はたましいによるものです。

たとえどんなに恵まれるようなことを見聞きしたとしても、それによって引き起こされた喜びは霊からのものではなく、たましいからのものなのです。

ですから、イェシュアは即座に弟子たちに注意したのです。

そのあとで、イェシュアが「聖霊によって喜びにあふれて言われた」とあります。

つまり「霊による喜び」を御父に対して言い表しています。

イェシュアは「あなたはこれらのことを、知恵ある者や賢い者には隠して、幼子たちに現してくださいました」と言われました。

「これらのこと」とはどんなことでしょうか。

それは「彼らの名が天に書き記されている」という事実です。

これは目に見えない事柄です。

信仰によって受け取らなければ言えないことです。

「あなたがたの名が天に書き記されている」ということを、パウロ流に言い換えるならば、「あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されている」(コロサイ3:3)となります。

こうした「霊の喜び」は、私たちの生来のたましいが死んでいなければ、言い表すことはできません。


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