『日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へシリーズ『出エジプト記』に読む神のご計画 第六章 ②
『日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ
シリーズ『出エジプト記』に読む神のご計画 第六章 ②
『“神に召された一人の偉大な指導者”が誕生すると、奴隷状況にあった一つの民族が解放されて、神の使命に生きる偉大な民族と変わりゆきます。その最初の選びがイスラエル民族にありました』。
この六章ではモーセの兄であり、モーセの助け手、イスラエルの大祭司アロンについて記されています。民族の興亡においてこの大祭司の役割は非常に重要です。
2. モーセの代弁者としてのアロン
自分は「口べた」(※脚注)だとして尻込みするモーセに対して、主はアロンをモーセの代弁者として与えます。その関係は、神がモーセに対して語ったように、モーセとアロンとの関係は、モーセが神となり、アロンは預言者となるということです。
モーセとアロン、良きチームとしてのこの組み合わせはモーセを安心させたのではないかと思います。ただし、あくまでも神がモーセに語り、それをモーセはアロンに告げて、アロンがエジプトの王に語るという形です。アロンが直接、神からの声を聞くことはありませんでした。必ず、モーセを通して語るというのが神のやり方であったのです。
のちに幕屋が建てられますが、その最も中心となる幕屋の至聖所に入ることができるのは大祭司のみでした。他の祭司は聖所まで。その先は入ることができませんでした。大祭司であっても年に一度だけです。ところがモーセは、いつでも出入り自由だったのです。そんな特権を与えられたモーセに対して、姉のミリヤムもそして兄のアロンも妬みました。それほどにモーセは神とのかかわりにおいて特別な扱いを受けていたのです。
(脚注)
モーセが語った「私は口べたです」の直訳は、「くちびるに割礼がない」です。あるいは「包皮を被った唇」です。本来、包皮は陰茎と関係するもので、唇と関係するものではありません。「包皮を被った」「無割礼の」を表わすへブル語の形容詞「アーレール」(עָרֵל)が唇(「サーファー」שָׂפָה)と結びつくことで、「口がうまく開けない」「話しべた」「コミュニケーション能力が低い」という意味に解されます。