シリーズ「霊の中に生きる」 No.17人のからだ(8)
シリーズ「霊の中に生きる」 No.17
人のからだ(8)
『メシア王国の到来』
献身の動機は人がキリストの愛(あわれみ)に感動し、それに捕らえられるという感覚です。
●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。
シリーズ「霊の中に生きる」の第17回目です。
今回は「人のからだ」についての第8回目です。
3. 祭司の聖別と任職(献身)
レビ記8章には、アロンとその子らに対する、祭司としての任職のための七日間にわたる聖別の規定が記されています。
実際には、祭司職の任命のために七日間にわたる聖別が始まった日から八日目に、初めて祭司としての職務が執行されています。
9:1
八日目になって、モーセはアロンとその子たち、およびイスラエルの長老たちを呼び寄せ、
9:2
アロンに言った、「あなたは雄の子牛の全きものを罪祭のために取り、また雄羊の全きものを燔祭のために取って、主の前にささげなさい
レビ記9章1〜2節
このことは非常に重要です。
そのことによって「主の栄光が民全体に現れ、火が主の前から出て来て、祭壇の上の全焼のささげ物と脂肪を焼き尽くした。民はみな、これを見て喜び叫び、ひれ伏した」のです(9:23~24)。
「過越の祭り」の後の安息日の翌日(初穂の祭り)から七週(7×7=49日)の翌日、すなわち50日目にも「初穂の祭り」という主の例祭があります。
これも「八日目」に通じる象徴的な位置づけにあります。
つまり、五旬節(ペンテコステの日)に、120名の弟子たちに天からの火である聖霊が注がれたという出来事の型が、レビ記8~9章にあると考えることができます。
まさに、「八日目」は新しい週の一日目であり、ここに「よみがえり」の型があります。
仮庵の祭りの「大いなる日」は「八日目」です。
また割礼も八日目に行われました(レビ12:3)。
これも明らかによみがえりをもたらす啓示です。
つまり、真の割礼の意義とは「肉のからだを脱ぎ捨てる」ことを示すことにありました。
2:11
あなたがたはまた、彼にあって、手によらない割礼、すなわち、キリストの割礼を受けて、肉のからだを脱ぎ捨てたのである。
2:12
あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、同時に、彼を死人の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、彼と共によみがえらされたのである。
2:13
あなたがたは、先には罪の中にあり、かつ肉の割礼がないままで死んでいた者であるが、神は、あなたがたをキリストと共に生かし、わたしたちのいっさいの罪をゆるして下さった。
コロサイ書2章11〜13節
つまり、アブラハムに対して命じられた割礼とは、「肉のからだを脱ぎ捨てて、やがて霊のからだとなって永遠に神に仕える者となる」ことを啓示していたのです。
このように「八」はイェシュアの数であり、よみがえりの象徴なのです。
メシア王国の到来も、獣と呼ばれる反キリストによる七年間に及ぶ支配(そのうちの後の三年半は未曽有の苦難に及びます)の後に、つまり八年目に実現されます。