シリーズ「霊の中に生きる」 No.18人の救い①
シリーズ「霊の中に生きる」 No.18
人の救い①
●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。
シリーズ「霊の中に生きる」も第18回目
「人の救い」についてまで来ております。
今回はその『人の救い』の第1回目です。
●2023.10.1~8「The 2nd Celebrate Sukkot」
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『「人の霊」について、そしてそれを活用して主と交わるということ』
パウロが手紙の最後でしばしば「あなたがたの霊」というフレーズを使っています。
①
「主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように」
(ピリピ4:23)
②
「主があなたの霊とともにいてくださいますように」
(Ⅱテモテ4:22)
③
「主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように」
(ピレモン25)
前回は「からだ」について取り上げ、その「からだ」を神に献げることの大切さを学びました。
しかし「からだ」には、個人的な救いの枠を超えた「エックレーシア」(教会)という「キリストのからだ」があることをパウロは語っています。
全体的な救いである「エックレーシア」があることで、はじめて個人の救いという領域が成り立つのです。
つまり個人の救いは、全体的な「エックレーシア」の中に組み込まれているのです。
12:1
兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。
あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。
それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。
12:2
あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。
ローマ人への手紙12章1〜2節
事実、ローマ人への手紙12章1~2節では「からだ」が取り上げられていますが、それは3節以降に語られる「エックレーシア」の前置きとなっています。
つまり、私たちはキリストにあって一つのからだであり、一人ひとりは互いに器官(肢体)だということです。
【新改訳2017】ローマ人への手紙12章3~5節
3
私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがた一人ひとりに言います。
思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。
むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えなさい。
4
一つのからだには多くの器官があり、しかも、すべての器官が同じ働きをしてはいないように、
5
大勢いる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、一人ひとりは互いに器官なのです。
パウロが1節で「神のあわれみによって、あなたがたに勧めます」と言っていることばはとても重いです。
なぜなら「あわれみ」ということばは、「愛」という語彙よりもずっと具体性を持っている語彙だからです。
「あわれみ」とは、サタンの支配の中に「閉じ込められてしまった者」(=失われた者)をどんな犠牲を払ってでも、そこから救い出そうとする神の心情(「スプランクニゾマイ」σπλαγχνίζομαι)です。
そのような神の心情を土台として、パウロは勧めをしているのです。
神のご計画とみこころは、地において神を表現するご自身のからだを造ること、すなわち「エックレーシア」を造ることにあります。
ですから、私たちの「霊とたましいとからだ」がその中に組み入れられていることを知るべきです。
からだの輝きは、互いの器官の相互作用によってはじめて十全に現されるからです。
そのような神のみこころを踏まえた上で、次回より、私たちの個人的な救いについて再考したいと思います。
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