シリーズ「霊の中に生きる」 No.17人のからだ(2)『御霊のからだ』
シリーズ「霊の中に生きる」 No.17
人のからだ(2)
『御霊のからだ』
●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。
シリーズ「霊の中に生きる」の第17回目です。
今回は「人のからだ」について第2回目です。
パウロは次のように言っています。
【新改訳2017】
Ⅰコリント人への手紙
15章20~21, 42~46, 50節
20
しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
21
死が一人の人を通して来たのですから、死者の復活も一人の人を通して来るのです。
42
死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、
43
卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、力あるものによみがえらされ、
44
血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
45
こう書かれています。「最初の人アダムは生きるものとなった。」しかし、最後のアダムはいのちを与える御霊となりました。
46
最初にあったのは、御霊のものではなく血肉のものです。御霊のものは後に来るのです。
50
兄弟たち、私はこのことを言っておきます。
血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
パウロはここで、朽ちる「血肉のからだ」と朽ちない「御霊のからだ」があること、そして「血肉のからだは神の国を相続できない」ということを述べながら、私たちの望みを以下のように記しています。
【新改訳2017】
ピリピ人への手紙3章20~21節
20
しかし、私たちの国籍は天にあります。
そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。
21
キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。
ここでパウロは「血肉のからだ(=生まれながらの人)」のことを「卑しいからだ」とし、「御霊のからだ」のことを「栄光に輝くからだ」と表現しています。
栄光に輝く朽ちることのないからだの「初穂」とは、死から復活されたキリストです。
それと同じようなからだに変えてくださることで、「神の国を相続する(受け継ぐ)」ことができることを述べています。
そのためにキリストは再臨されるのであり、それを「私たちは待ち望んで」いるのだとしています。
では、からだが復活して「栄光に輝くからだに変えられる」ときまで、私たちは自分の「からだ」である「ソーマ」(σῶμα)とどのようにかかわるべきなのでしょうか。
そのことを考えてみましょう。