シリーズ「霊の中に生きる」 No.9人の霊(9)①
シリーズ「霊の中に生きる」 No.9
人の霊(9)①
人の霊(9) - 牧師の書斎
●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。
シリーズ「霊によって生きる」の第九回目です。
今回も「人の霊」について扱います。
今日はその第一回目です。
これまで、「霊の中に生きる」ということで「人の霊」について学んで来ました。
霊によって生きるためには、私たちの知識や理解の型紙は全く通用しません。
イェシュアは「わたしが語ることばは霊であり、いのちです」と言われました。ですから、私たちのうちの霊が回復しなければ、イェシュアの語ることばは正しく理解することが出来ないのです。
律法の教師であったニコデモに対して、イェシュアが「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」と言ったとき、ニコデモは何と答えたでしょうか。
「人は、老いていながら、どうやって生まれることができますか。もう一度、母の胎に入って生まれることなどできるでしょうか」と言ったのです。
イェシュアのことばの真意は「霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできない」ということだったのです。
ニコデモはイェシュアのいう「霊によって生まれる」ということが分からなかったために、噛み合わない会話となってしまいました。
前回、アブラハムから始まった「割礼」の真意について学びました。
割礼は今日においてもユダヤ人にとって民族的アイデンティティーの徴です。しかしその真意は、「肉によってではなく、霊によって生きる」という預言的な奥義です。
今や、私たちは「キリストの割礼を受けた」(コロサイ2:11)と使徒パウロは述べています。
キリストの割礼を受けたとはどういうことでしょうか。それは以下のことと関係があります。
【新改訳2017】
コロサイ人への手紙2章12~13節
12
バプテスマにおいて、あなたがたはキリストとともに葬られ、また、キリストとともによみがえらされたのです。
キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じたからです。
13
背きのうちにあり、また肉の割礼がなく、死んだ者であったあなたがたを、神はキリストとともに生かしてくださいました。・・・・
上記の12~13節には「キリストとともに」というフレーズが3回登場します。
そして「ともに葬られ」「ともによみがえらされ」「ともに生かしてくださいました」は、すべてアオリスト(過去形)で記されているキリストの事実なのです。
そこに「あなたがた」が結びついているのです。
これは「包括的なあなたがた」であり、今から二千年前に起こった一回的な事実なのです。
これをどう説明したら良いでしょうか。
実は、私たちが「霊の中に生きる」ためには、このことを霊の中で正しく理解することが不可欠なのです。