『日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ』 シリーズ『出エジプト記』に読む神のご計画 第四章 ①
『日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ』
シリーズ『出エジプト記』に読む神のご計画 第四章 ①
モーセの召命と使命(2) - 牧師の書斎
『“神に召された一人の偉大な指導者”が誕生すると
奴隷状況にあった一つの民族が解放されて、神の使命に生きる偉大な民族と変わりゆきます。
その最初の選びがイスラエル民族にありました』。
モーセの召命と使命(2)その1
『レーフ』
【聖書箇所】
出エジプト記 4章1~31節(p77〜p79)
はじめに
モーセの召命において顕著な語彙は「行け」(「ハーラフ」הָלַךְ)の命令形、「レーフ」לֵךְ)という主のことばです。
主がかつてアブラムを召し出すときにも、同様に、「(わたしが示す地へ)行け」(創世記12:1)ということばでした。
アブラムは主の「行け」というお告げのとおりに出かけました(同12:4)。
主の召しによるアブラムの新しい人生がはじまったのです。そのとき、アブラムは75歳でした。
アブラムの「ハーラフ」(歩み)は必ずしもすべて神からの指示によるものではありませんでした。
飢饉のときには主に伺いも立てずに勝手にエジプトに行きました。また、自分の思いで神の計画を実現しようとしてイシュマエルを生みました。
そんなアブラムに対して主は「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ」(同17:1)と語られました。
「わたしの前を歩み」の「歩む」は「ハーラフ」(הָלַךְ)の強意形ヒットパエル(再帰)態で、自ら、自発的に、主体的に神の前に歩むことを意味しています。
そして22章では、主がアブラハムに、モリヤの山に行きひとり子イサクをささげるように命じます。
アブラハムは主が命じられたとおりに、イサクを連れ、その山に向かって行きました。
ここにアブラハムの信仰の「ハーラフ」(הָלַךְ)の頂点を見ることができます。
モーセは80歳になってから主の召命を受けますが、モーセの召命においても際立っているのは「ハーラフ」の命令形「レーフ」(לֵךְ)なのです。主はモーセに繰り返し、繰り返し、「行け」と命じられました。
モーセの召命における「行け」(レーフ)
聖書には神からの召命を受けた人々が多くおり、それぞれの召命には多様性がありますが、神からの召命には明確な促しと目的と約束がいつも伴っているということです。
神の召命は人間的に考えるならば到底でき得ないということです。
それゆえ、モーセのように尻込みしてしまうことがあるのです。
しかし、モーセのように神からの召命を何度も確かめながら、召しへの確信を持つことがとても重要なのではないかと思います。
使徒となったパウロは次のように言っています。
「私が使徒となったのは、人間から出たことでなく、また人間の手を通したことでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのです。」
(ガラテヤ1章1節)
この箇所から
神のご召命によって
モーセ一人に起こった出来事によって、
神の国が地上に建国されるまでの壮大な神のご計画のドラマが具体的にスタートして参ります。