シリーズ「霊の中に生きる」 No.18 人の救い⑤
シリーズ「霊の中に生きる」 No.18
人の救い⑤
●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。
シリーズ「霊の中に生きる」も第18回目
「人の救い」についてまで来ております。
今回はその『人の救い』の第5回目です。
●2023.10.1~8 The 2nd Celebrate Sukkot
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【新改訳2017】Ⅰヨハネの手紙4章18節
愛には恐れがありません。
全き愛は恐れを締め出します。
恐れには罰が伴い、恐れる者は、愛において全きものとなっていないのです。
このみことばの後半では「愛には恐れがない」ことの理由が記されています。
その理由とは「恐れには罰が伴い」とあります。つまり恐れは刑罰と関係しているのです。
これは私たちの経験から理解できるはずですが、恐れは人のたましいの部分で引き起こされているのです。
恐れの感情は、「叱られる、責められる、仕打ちされる、復讐される、罰が当たる、良くないことが身にふりかかる」といった思いで現わされます。
もろもろの偶像、占い、霊感商法などは、人の恐れの心理を食い物にしています。
しかし、霊の中で神との愛の交わりがなされる時、「恐れの感情」を引き起こすたましいに対して、霊が影響を及ぼします。
それゆえ、「全き愛は恐れを締め出します」とあるのです。
「恐れを締め出す」というのは人が霊の中で生きていることの表れです。
人の霊にあるのは涸れることのないいのちの源泉です。
そこはたましいを支配しているサタンが入れないシークレット・プレイスです。
台風の目の中にあるような「静けさ」が霊の中を支配しています。そこに神がともにおられるのですから、その霊の中に生きるようにしなければなりません。
私たちはいつもそこにとどまる必要があるのです。
イェシュアは繰り返し、繰り返し、「恐れてはならない」と言われました。
それらは「霊であり、いのち」であるイェシュアのことばであり、預言的なことばでもありました。
つまりイェシュアが死んでよみがえり、「いのちを与える御霊」となって私たちの霊を再生し、その中に住むことによってはじめて実現することを語られていたのです。
単なる気休めのことばではありません。
三一の神が私たちに内住することで「恐れることがなくなる」のです。
その約束が込められたことばこそ「恐れてならない」ということばなのです。
いのちの源泉から離れた人間は「恐れる」ようになることを、誰よりも知っておられるイェシュアが語っていることばです。

恐れる者その愛、未だ全ったからず。!