シリーズ「霊の中に生きる」 No.17人のからだ(7)
シリーズ「霊の中に生きる」 No.17
人のからだ(7)
キリストの愛が私たちを「捕らえている」
献身の動機は人がキリストの愛(あわれみ)に感動し、それに捕らえられるという感覚です。
●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。
シリーズ「霊の中に生きる」の第17回目です。
今回は「人のからだ」についての第7回目です。
②【新改訳2017】
ローマ人への手紙 12章1 節
ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。
あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。
それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
②は献身を考える上で非常に重要な聖句です。
献身の動機は神のあわれみにあります。
パウロはこう述べています。
【新改訳2017】
Ⅱコリント人への手紙5章14~15節
14
というのは、キリストの愛が私たちを捕らえているからです。
私たちはこう考えました。
一人の人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである、と。
15
キリストはすべての人のために死なれました。
それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。
キリストの愛が私たちを「捕らえている」
とは「取り囲まれる」という意味で、「しっかりとつかまれている、囲まれて逃げることができない」といったニュアンスです。
献身の動機は人がキリストの愛(あわれみ)に感動し、それに捕らえられるという感覚です。
そうした感覚なしに人は自分を献げることはできないのです。
しかし愛に強いられただけでは、まだ献身とは言い難いのです。
パウロは祭司の聖別と任職(=献身)かどのようなものであったのかを知っていた人です。
彼は自ら「ヘブル人のヘブル人、律法についてはパリサイ人」と言っています。
そのパウロが自分は「祭司の務め」を果たしていると述べています。
私たちクリスチャンも同様です。
その務めを実際に果たしているかどうかは別として、「王なる祭司」とされているのです。
【新改訳2017】
ローマ人への手紙15章15〜16節
15:15
しかし、わたしはあなたがたの記憶を新たにするために、ところどころ、かなり思いきって書いた。
それは、神からわたしに賜わった恵みによって、書いたのである。
15:16
このように恵みを受けたのは、わたしが異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。
それは異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれるささげ物となるためです。