『使徒行伝17章1〜15節、天地創造以前に備えられていた生けるיהוה、主の器、ルカ』
『本日の聖書箇所、使徒行伝17章1〜15節』#御国の福音 #生命の光#ミルトスと友に
— 武智俊一 (@takechish) January 23, 2024
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一行は、アムピポリスとアポロニヤとをとおって、テサロニケに行った。
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ここにはユダヤ人の会堂があった。
⁰パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ、 ⁰
使徒行伝17章1〜2節#生命の光 #ミルトスと友に#御国の福音 pic.twitter.com/uPxDA1Mklf
使徒16章10節と11節で「私たち」となっていますが、17章1節では、突然「彼ら」となっています。「彼ら」とはパウロとシラス、それにテモテです。
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後にパウロが第3回伝道旅行の帰路に再び、『この人たちは先発して、トロアスでわたしたちを待っていた。(20章5節)』と、『わたしたち』が登場します。 pic.twitter.com/wtZ0BYgUuY
これは聖書には書かれていませんが、
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使徒行伝16章におけるヨーロッパで最初に建立されたピリピのエクレシアを愛し尊く思われたキリストが、その信仰の根固めの為、ルカをピリピエクレシアのラオス(長老)として滞在させたのです。
時は、西暦49年から西暦58年の約10年間において。#生命の光 pic.twitter.com/35W8OUpDef
わたしたちは、除酵祭が終ったのちに、ピリピから出帆し、五日かかってトロアスに到着して、彼らと落ち合い、そこに七日間滞在した。
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使徒行伝20章6節
これ以後、(パウロの第三回伝道旅行の帰路)『わたしたち』と繰り返し記されて『わたしたち(ルカを含む)』はエルサレムに入ります。 pic.twitter.com/iP27rjiYUV
ここで聖書の文字の背後から語りかけてくる、非常に重要な驚くべき主の御声は、使徒行伝16章における『マケドニアンコール』の段階で、キリストの神は既に、使徒パウロの同労者としての、また新しく建立されたエクレシアの中核となるような牧者級の器(ルカ)を、用意されていたということです。 pic.twitter.com/0u1Rag1S9n
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主なる神、(アドナイ、エロヒームיהןה אלוהים)が既にご用意された、神の栄光を共に担うパウロにとっての、同労者、助け手としてのルカとの出会い。
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これは決して偶然ではない。
必然的なことであり、天地創造以前から神ご自身がご用意しておられた出会いです。#生命の光 #ミルトスと友に pic.twitter.com/GF6n8ilEJV
神ご用意し給う出会いであるということです。そこには信仰の実が結果として結実しております。神の聖なる歴史、神の栄光を担う器としてルカが立てられたことによって、あのナザレのイエスはイスラエルにとってのメシアであるだけでない、全人類にとっての救世主であるという位置付けがなされたのです。 pic.twitter.com/KDrGVRnq4u
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このルカがルカ伝において、あのナザレのイエスこそ、生きた者である霊、最初のアダムを踏み直し終わらせ、死人の中から復活された者の初穂として、生命を与える霊となった最後のアダム(神の子)であるとパウロとともに明確に宣言している。#生命の光 pic.twitter.com/QH23phJs9B
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イエスが宣教をはじめられたのは、年およそ三十歳の時であって、人々の考えによれば、ヨセフの子であった。ヨセフはヘリの子、、、、エノス、セツ、アダム(は神の子)である。
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ルカ伝3章23〜38節#生命の光 pic.twitter.com/RjCMMUuYcF
聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてあるとおりである。しかし最後のアダム(キリスト)は命を与える霊となった。
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コリント前書15章45節
人間に自由をもたらすものは、 pic.twitter.com/OnAAxadguD
この“生命を与える霊なる最後のアダム(イエス、キリスト)”の出現とともに、十字架の死と復活の出来事の故に、創世記のこの預言が今も成就するのである。
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「彼はおまえのかしら(サタン、死)を砕き、おまえは彼(イエス、キリスト)のかかとを砕くであろう」。
創世記3章15節#生命の光 pic.twitter.com/j12lictKJD
アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。
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マタイ伝1章1節
マタイはアブラハムの子であるダビデの子としてのイエス、キリストを書き記した、
イスラエルのメシアとしてのイエス、キリストマタイ伝を通して証詞したが、
使徒マタイ pic.twitter.com/fiVkDaZY7c
ルカはルカ伝における老シメオンの口を通して幼子イエスをこう表現するのである。
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「この救はあなた(神)が万民のまえにお備えになったもので、 異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」。
ルカ伝2章31〜32節
幼子イエスを抱く老シメオン pic.twitter.com/W8xy8T224v
神ご自身が予め万民の前に備えてくださっっていたお方、
— 武智俊一 (@takechish) January 23, 2024
そのお方イエス、キリストこそ
神の民イスラエルの栄光、
異邦人を照らす啓示の光である。
夜通し幻がパウロに迫り語りかけてくださったこの世界を、同様に、夢見つつパウロに仕え、結果として主イエスに仕えたルカの姿、#生命の光 pic.twitter.com/hFxn5jpxCZ
何と美わしい『同労愛苦、相思相愛』の関係ではないでしょうか。
— 武智俊一 (@takechish) January 24, 2024
人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。
ヨハネ伝15章13節
後に使徒ヨハネがヨハネ伝を通して現したこの世界は既にそれ以前にあの夜中、トロアスの港町でマケドニアンコールの幻となって生きていた。
そう思わされますと、私自身この幻に撃ち倒されるまでにも、御霊に満たされて、御霊に錆び付かれ、御霊に飲み尽くされるまでにも神の御霊と一つとなる世界を祈り求め導かれて参りとうございます。
— 武智俊一 (@takechish) January 24, 2024
いや、ほんとうに言葉ではないんです。
このことの故に既に、備えられて地上に置かれているお互いです。 pic.twitter.com/PGE1r5o1Go
この主なるキリスト、イエスの御心、御旨に添いまつりトップリと浸り切るまでにも導かれたいと、
— 武智俊一 (@takechish) January 24, 2024
『主よ御国を来らせ給え!』と祈りを献げれますこと感謝します。
すみません。
あっちこっちに飛びましたが、『私たち』使徒行伝16章のこの一句をもって御霊の臨在に浸れましたこと感謝いたします。 pic.twitter.com/GDilzTlU9i