シリーズ「霊の中に生きる」 No.18人の救い⑨
シリーズ「霊の中に生きる」 No.18
人の救い⑨
新天新地の理想郷(新しきエルサレム)
●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。
シリーズ「霊の中に生きる」も第18回目
「人の救い」についてまで来ております。
今回はその『人の救い』の第9回目です。
●2023.10.1~8 The 2nd Celebrate Sukkot
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『朽ちることのない「からだ」への変貌』
前回から続いて『朽ちることのない「からだ」への変貌』について語っております。
【新改訳2017】
Ⅱコリント人への手紙4章16~18節
16
・・、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
17
私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。
18
私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。
「比べものにならないほど」
「比べものにならないほど」と訳された箇所には、「ヒュペルボレー」(ὑπερβολή)という語彙が二度重ねられています。
この一語だけでも「卓越した」ことを表しているにもかかわらず、パウロはこの語彙を重複して用いているのです。
これは、ヘブル語で最上級を表す語彙を二度重ねて使う用法とまったく同じです。
つまりパウロはヘブル的修辞法を、ギリシア語にも用いているということです。パウロは「この上ない」ことを意味する前置詞の「ヒュペル」(ὑπερ)が付いた語彙を、自分で数多く作り出して使っています。
なぜなら御国のすばらしさを表すことばが、この世の言語にはないからだと考えられます。
たとえば、以下がそうです。
①「さらにすぐれた、はるかに勝った」を意味する「ヒュペルバッロー」(ὑπερβάλλω)
②「~を越えて豊かに、途方もなく豊かに」を意味する「ヒュペルエクペリッスー」(ὑπερεκπερισσοῦ)
③「著しく目に見えて成長する」を意味する「ヒュペルアウクサノー」(ὑπεραυξάνω)
④「~よりも卓越した」を意味する「ヒュペルエコー」(ὑπερέχω)
⑤「際立った、超大物の」を意味する「ヒュペルリアン」(ὑπερλίαν)
パウロがなぜそんな語彙を作り出すかといえば、メシア王国のすばらしさがこの世のものとは比べられないほどであることを証しするためです。
そのことを知らない人は、パウロの表現が大袈裟なものと感じてしまうことでしょう。
しかしパウロは第三の天(パラダイス)にまで引き上げられた人です。
ですから、私たちは霊の中で、パウロが言っていることを信じる必要があります。
彼は「神のことばを完成させた人」だからです。そのようにして表される「御国の栄光」は、メシア王国が実現したときに目に見えるかたちで現わされるようになります。
「新しい御霊のからだ」
新しい御霊のからだは御使いのようなからだとなるため、私たちの想像を超えるほどのことがなされると思います。
人間のからだは創造の当初から神を表現する器として造られました。この点は永遠に変わらない真理なのです。
人間の罪のからだが変貌して朽ちないからだとなって、永遠に神に仕えるためのからだとされるのです。
それは地を支配するためです。
それゆえ、「からだ」は神の働きをするために必要不可欠なのです。
しかしこの世においては新創造されたとしても、いまだ、罪のからだです。
罪のからだであっても、その働きは肉によるものであってはならず、霊によるものだけが神を喜ばせます。
そのようなこの地上での働きに対して聖書は「報い」があることを語っています。