日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ  シリーズ『出エジプト記』に読む神のご計画 出エジプト記 12章37節~13章16節③

日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ 

 シリーズ『出エジプト記』に読む神のご計画 

出エジプト記 12章37節~13章16節③


『“神に召された一人の偉大な指導者”が誕生すると、奴隷状況にあった一つの民族が解放されて、神の使命に生きる偉大な民族と変わりゆきます。

その最初の選びがイスラエル民族にありました』。

この神に選ばれた民族イスラエルが、神から求められたことが、出エジプトの『過ぎ越し』を記念して、『過ぎ越しの祭り』を守ることです。

今回は『過ぎ越しを覚えるための規定』と
神の初子なる『シェーム、イェシュアの御名』について触れていきます。

10. 過越を覚えるための規定

神の初子なる『シェーム、イェシュアの御名』

【聖書箇所】 12章37節~13章16節

過越を覚えるための規定 - 牧師の書斎

3. 代価を支払う(贖う)という責務

聖書においては、与えられた自由は無償で得られたものではないという考えが根底にあります。

イスラエルの民はエジプトの圧制から救い出されて自由を得ましたが、その背景には多くの初子が犠牲となっています。

自由を得た者は「ああ良かった」で終わらず、犠牲となった者の代価を払う(代償をつぐなう)という責務があるというのが神のみこころです。

そのひとつが、家畜の場合にはその初子を神へのいけにえとしてささげるという形で、人間の場合にはその初子の代わりに銀5シェケルを神に支払うという形であらわすことが定められています。

このように初子の聖別の真意は、自由は血を流す犠牲によってはじめて得られるものだということを神の民に教えることにあったのです。

新約聖書の場合においては、サタンの暗闇の圧制から愛するイエスの御支配の中に移されて自由とされた私たちも、犠牲となってくださった神のひとり子であるイエス・キリストの死という代価に対しての、それに見合う正当な責務があります。

『シェーム、イェシュアの御名』

その責務とは神と人に対して「愛する」という責務です。

それが律法(トーラー)の中で最も重要なこととして教えられているのです。

新しき律法(トーラー)よりヨハネの福音書を通して神は現代に生きる私たちにこう語りかけてきます。

15:9

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。

わたしの愛のうちにいなさい。
15:10

もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。

それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。


15:11

わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。


15:12

わたしのいましめは、これである。

わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。


15:13

人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

15:14

あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。

*人がその友のために自分の命を捨てること、これ律法(トーラー)の完成である。

この宇宙には根本悪というか、根源的な魔力が存在していて、鬼魔的(デモニッシュ)な力が動きだすと世の中が混乱してきます。

まさに、

このサタンの術策が蔓延(はびこ)り、このサタンの跳躍を意識しないで生活しているのが現代人の霊覚、霊性ですが、このサタンの跳躍、術策から私たちを自由の子として解放してくださったのが神の初子なる『シェーム、イェシュアの御名』です。

この御名こそ私たちの贖いの責務、贖いの責任です。

私たちのこの現代日本においても、凶悪な犯罪、残忍な暴力がゆえなくして行われ、エロ、グロ、テロの横行する時世、これほど恐ろしい時代はありません。

このままでいけば人類は又、再び古(いにしえ)のノアの時代の大洪水のような時を招かないとも言い切れません。

何が必要なのか、

人がその友のために自分の命を捨てること、
このことです。
これエデンの民の新創造です。

自分のこと以上に友を思い友と愛しあう人類の誕生。

無論、この愛は人間の生来もちえるような愛ではありません。
新しきエルサレム、三一の神の御座から降されてくる『神そのものの愛』、『聖霊の愛』なのです。

こういう人類が『シェーム、イェシュアの御名』によって、続々と新創造されてくること、新しく誕生してくること、

『シェーム、イェシュアの御名』

これ以外に滅びゆく人類を救い、人類をサタンの術策から解放させ、新しい人類として、われもなく世もなくただ主のみいませり、と、神の手先として、天使の手先として、人類を新しく創造しようとする神の共同の同労者として、この地上のすべてに対して責任もって愛し管理していく、

このようなにエデンの園に
新しく住む民を
新しく誕生させる御名

天上、天下、この御名以外には、人間を救う名を神は人類に与えておられません。

このことをわたしは確信し断論いたします。


人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛をわたしは他に知り得ない。

この御名こそ全知全能です。

悪しきサタンの圧迫、サタンの術策から解放され自由を得た者は「ああ良かった」で終わらず、犠牲となった者の代価を払う(代償をつぐなう)という責務(責任)があるというのが神のみこころです。

『シェーム、イェシュアの御名』の下
いよいよ私たち新しき人類の初穂として、熱く熱く深く深く愛し合って参りたいと切に祈らされます。 

三一の神の霊、
皆さんの霊とともにありますように、

御名を賛美いたします。


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