シリーズ「霊の中に生きる」 No.13人の霊(13)⑧
シリーズ「霊の中に生きる」 No.13
人の霊(13)⑧
「レーヴ・ターホール」(לֵב טָהוֹר)
きよい霊
●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。
シリーズ「霊の中に生きる」の第13回目です。
今回も「人の霊」について扱います。
今日はその第8回目です。
(2) ダビデの証し②
【新改訳2017】詩篇51篇10~12節
10
神よ 私にきよい心を造り 揺るがない霊を 私のうちに新しくしてください。
11
私を あなたの御前から投げ捨てず あなたの聖なる御霊を 私から取り去らないでください。
12
あなたの救いの喜びを私に戻し 仕えることを喜ぶ霊で 私を支えてください。
![](https://assets.st-note.com/img/1690488525270-Z7fcJOPvC6.png?width=1200)
●10節でダビデは「神よ。私にきよい心を造り、揺るがない霊を私のうちに新しくしてください。」という積極的な祈りをしています。
「きよい心」とは「レーヴ・ターホール」(לֵב טָהוֹר)、「揺るがない霊」とは「ルーアッハ・ナーホーン」(רוּחַ נָכוֹן)です。
それを「造る」(「バーラー」בָּרָא)という動詞は、「天と地を創造した」の「創造した」と同じ動詞です。
「造る」(「バーラー」בָּרָא)の主語は常に神です。ダビデは、天と地を造られた神以外に、自分を全く新しく再創造してくれる者はいないことを確信して神に祈り求めているのです。
人間の罪性(原罪)は私たちのたましいの知覚によるものではなく、ただ霊の中にある「良心」によってのみとらえることができるのです。
そこから「主よ。私をあわれんでください」という祈りが生まれてくるのです。
イェシュアが語られたたとえの中に「パリサイ人と取税人の祈り」(ルカ18:9~14)があります。
義と認められて帰った取税人の祈りは「遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて『神様。罪人の私をあわれんでください。』」というものでした。
この祈りこそ、神の霊が先行的な恩寵をもって働いていたとしか言いようがありません。それは霊の中にある良心が回復された証しなのです。
![](https://assets.st-note.com/img/1690488563443-HeQIhBHZjs.png?width=1200)