シリーズ「霊の中に生きる」 No.5、人の霊(6)⑥
シリーズ「霊の中に生きる」 No.5、
人の霊(6)⑥
●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。
さらにパウロは「霊の中に生きる」恵みを以下のように語っています。
4. 私たちは落胆しない
【新改訳2017】
Ⅱコリント人への手紙4章15~18節
15
すべてのことは、あなたがたのためであり、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためなのです。
16
ですから、私たちは落胆しません。
たとえ私たちの外なる人は衰えても、
内なる人は日々新たにされています。
17
私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。
18
私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。
16節の「私たちは落胆しません」というその根拠は「この宝を土の器の中に入れている」からですが、その究極的理由は「すべてのことは・・神の栄光が現れるようになる」からです。
具体的には、以下の理由からです。
(1) 内なる人は日々新たにされている
「内なる人」とは何でしょうか。
それは回復された「人の霊」のことです。
御霊とミングリングされることで、それは日々、新たに刷新されて行きます。
そしてそれは私たちの新しい心を形成していくのです。このことはエレミヤ書31章33節とヘブル書8章10節にある「わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に置き、彼らの心にこれを書き記す」ことの成就です。
しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。
すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。
わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。
人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。
それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。
わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。
エレミヤ書31章33節〜34節
わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。
すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。
こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう。
彼らは、それぞれ、その同胞に、また、それぞれ、その兄弟に、主を知れ、と言って教えることはなくなる。
なぜなら、大なる者から小なる者に至るまで、彼らはことごとく、わたしを知るようになるからである。
ヘブル書8章10節〜11節
反対に、「外なる人」とは死ぬべき私たちの「たましいとからだ」を意味します。
それらはすでに十字架において包括的に死んでいますが、経験としては次第に消耗し衰えていく運命にあります。
18
私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。
生物界で、最大の奇跡があるなら、生命を与える霊(聖霊)が人間の霊の中にミングリング(インカネーション、受肉)するという事実です。
霊は人間にミングリング(インカネーション)して驚くべき力を加持し、発揮します。
しかし、肉(魂)の見ゆる現象界で、霊のエネルギーを用いる以上に、霊をして、見えざる霊の世界で羽ばたかしめよ。
そうでないと、霊は、肉(魂)の中に眠り、俗化して、サタンに誘われます。
この、霊訓こそ、祈りに重要です。