シリーズ「霊の中に生きる」 No.5人の霊(5) ⑤
シリーズ「霊の中に生きる」 No.5
人の霊(5) ⑤
●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。
創世記1章1節にすでに
イェシュア、キリストが、
天と地を結ぶ立て役者は「御子」です。御子は神ご自身のかたち(神ご自身の表現)として、イェシュアという名前で受肉されました。
イェシュアは百パーセント神であり、百パーセント人です。神性と人性を併せ持つ存在として、「インマヌエル(神われらとともに在せれ)」と呼ばれます。
イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。
また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。
マタイによる福音書3.16〜3.17
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受肉の時から聖霊が内在されていました。30歳の時に洗礼を受けられたことで私たちを取り込んでくださいました。
イェシュアの洗礼は私たちを取り込んで私たちと一体となることを意味します。
3年半の公生涯において、神と人がともに住む家である「御国」について語られました。
また数多くの奇蹟によって、御国のリアリティー(実体)をデモンストレーションしてくださったのです。
そして私たちとともに十字架にかかり、死ぬことによって、「最初のアダム」がもたらした罪とのろいの裁きをすべて受けてくださったことで、すべての人の罪(単数の罪)をきよめ、罪(複数の罪)を赦し、それらの罪(単数も複数も)を完全に取り除いてくださったのです。
しかしこれは贖いの半分でしかありません。あとの半分は、イェシュアが死んで三日目に、私たちとともによみがえられたことです。
もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。
しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。
それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
Ⅰコリント15.19〜15.21
つまりイェシュアは「眠った者の初穂として死者の中からよみがえられ」たのです(Ⅰコリント15:20)。
この「初穂であるキリスト」が、何と驚くべきことに創世記1章1節の冒頭にある「はじめに」という言葉「ベレーシート」の中に隠されているのです。
「レーシート」(רֵאשִׁית)は「初物、初穂、最上の物」を意味します。その前に置かれた「ベ」(בְּ)は「~によって」を意味する前置詞で、それを合わせた「ベレーシート」は「眠った者の初穂であるキリストによって」と言い換えることが出来るのです。