日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ 。シリーズ『出エジプト記』に読む神のご計画 13. 水とパンという「生存の保障」⑤
日本の残されし民より未来の全人類
(選ばれし民)へ 。
シリーズ『出エジプト記』に読む神のご計画
13. 水とパンという「生存の保障」⑤
2023.10.1~8 The 2nd Celebrate Sukkot
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出エジプト記 15章22節~17章7節
『“神に召された一人の偉大な指導者”が誕生すると、奴隷状況にあった一つの民族が解放されて、神の使命に生きる偉大な民族と変わりゆきます。その最初の選びがイスラエル民族にありました』。
今回は「13. 水とパンという「生存の保障」」⑤について学んでいきます。
パンの問題です。
パンの問題は人間が生きていく上で大変重要です。
しかし、
もう一度この御言葉に浸っててみてください。
8.2
それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。
8:3
それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。
人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。
申命記8章2〜3節
では
. マナの賦与
エジプトを出て一ヶ月後に、食物のことでつぶやく民に対して、神は不思議な食べ物を与えられました。「天から降ったパン」、すなわち「マナ」です。
この「マナ」はイスラエルの民が約束の地に入るその時まで、毎日、荒野で与えられた食物です。時折(ある季節には)、夕方になるとうずらが飛んで来て、その肉を食べることができたようです。「マナ」に対する神の「おしえ」は次のようでした。
①「各自、自分の食べる分だけ、必要に応じて集めること」
②「翌朝まで取っておくことができないこと」
③「安息日の日にマナは降らないこと、それゆえ、六日目には二倍の分を取って良い。しかも、それは翌朝になっても食べることができること」
とても不思議なことは、神のマナは毎日与えられること、しかも一人ひとりに必要な分が与えられること。しかも蓄えることができないことです。
そのことから次の教えが成り立ちます。
(1) 明日のことを思い煩わないこと
(マタイ6章34節)
(2) 与えられたもので満足すること
(テモテ第一、6:6)
これらは、別の言葉で表現するならば、信仰的自己管理能力ということができます。
この能力を培う必要があります。
神は私たちに必要を与えてくださるからです。
神はトーヴ(全美)な方である。
その能力を培うことによって主の平安が心を支配するようになります。そして神への集中が可能となります。
使徒パウロは「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大き利益を受ける道です」と愛弟子のテモテを諭しています。必要以上に求めることは強欲であり罪です。それゆえ、「金銭を愛することが、あらゆる悪の根」であり、それを求めたがゆえに、「信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。」
(テモテ第一6:6, 10)
4. 神の「生存の保障」に対する信仰と「安息日」という関係
神の民に対する「生存の保障」は、神の民の本来の召しと深く関係しています。
安息日の前日には二日分のパンが与えられるということは、安息日には安心して神を礼拝することに集中することができるからです。
主の聖なる安息は、聖なる方を礼拝し、その救いを楽しみ、主への信頼を深めるときです。
そこから、あらゆる領域において、この世とは異なる神の民としての聖なる文化の創造がなされていくのです。