シリーズ「霊の中に生きる」 No.11人の霊(11)⑤


シリーズ「霊の中に生きる」 No.11

人の霊(11)⑤

『直覚』から始まるヨーロッパ伝道

●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。

シリーズ「霊の中に生きる」の第11回目です。

今回も「人の霊」について扱います。
今日はその第5回目です。

人の霊(11) - 牧師の書斎

3.「聖霊とイェシュアの霊」の指示に従う
直覚の働き

【新改訳2017】使徒の働き 16章6~10節

6

それから彼らは、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フリュギア・ガラテヤの地方を通って行った。

7

こうしてミシアの近くまで来たとき、ビティニアに進もうとしたが、イエスの御霊がそれを許されなかった
8 それでミシアを通って、トロアスに下った。


9

その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。

10

パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。

トロアス(アジア)からマケドニア(ヨーロッパ)へ

『直覚によって知る』→
『直覚に従って理解する(悟る)』

ここには第二次伝道旅行において、パウロとシラスに、青年のテモテとルカが加わり、マケドニアに渡っていくという導きのプロセスが記されています。

パウロとシラスは聖霊イェシュアの霊の指示に従って行動していたことが分かります。

彼らはアジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられ、また彼らがビティニアに何度も進もうとしましたが(未完了形)、イェシュアの御霊がそれを許さなかったと告げています。

彼らの思いと計画が、聖霊によって禁止され、イェシュアの御霊によって許されなかったことを知ったのです。

知ったのは彼らの霊における直覚によるものです。

なぜ、聖霊が禁じ、イェシュアの霊が許さなかったのか。その理由はここでは何も記されていません。

その記されていない理由をいろいろと詮索することは可能ですが、“その理由が記されていないということがむしろ重要なのです”。というのは、霊の感覚、すなわち「直覚」は理由なしに機能するからです。

神の世界は人間には計り難い世界です。『直覚』はこの神の世界の出来事です。

私たちの通常のたましいの感覚の場合、人的・環境的なものによって引き起こされます。

しかし、「直覚」の場合は、内なる霊から直接引き起こされて、それが聖霊による禁止とイェシュアの霊による不許可というかたちで表されているのです。

直覚は人の思いや決心とは相反する働きとして機能します。

霊が機能不全を起こしている者にとってはそのような働きはありません。それは霊が回復した者に働く機能です。

この直覚を十分に働かせることで、そのときには理解できなくても、神のご計画に従って自然と導かれて行くのです。

そのときに、「知る」ことと「理解する」ことの違いを知ることは重要です。

直覚によって神の思いを「知る」ことはできますが、それを「理解する」ことはできません。

事実、パウロの一行は、聖霊による禁止やイェシュアの霊が阻止する理由については理解できませんでしたが、自分たちの計画が阻止されているという感覚は知ることができたのです。

パウロの一行は直覚に従いました。それゆえ、彼らは当初計画していた東の方向ではなく、計画にはなかった西の方に進むことを余儀なくされました。

そしてアジアの最西端トロアスにまで足を進めて行ったのです。とはいえ、思案投げ首。どうしたら良いか分からない状態でした。

ところが「ある夜」、パウロは幻を見せられたのです。この幻を見たことで、直覚が示した意味を悟ったのです。

つまり神のご計画を「理解した」のです。もしパウロが直覚に従っていなければ、この幻によって神のご計画を確信することはできなかったはずです。

神の導きに従順に従って

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