日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ 。シリーズ『神の御住まい(幕屋)に在る神のご計画』③
日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ 。
新シリーズ『神の御住まい(幕屋)に在る神のご計画』③
『“神に召された一人の偉大な指導者”が誕生すると、奴隷状況にあった一つの民族が解放されて、神の使命に生きる偉大な民族と変わりゆきます。その最初の選びがイスラエル民族にありました』。
前回から新シリーズに入っています。
神に出会い神の力に加持されたカリスマ的指導者、神の人、モーセの秘密力こそホレブの山での神と顔と顔を合わせての出会いの経験でした。
後に出エジプトしたイスラエルの民はこのモーセを指導者として40年間の荒野生活を通ってきたことは前回のシリーズで学びました。
このイスラエルを導くモーセが常に神と顔と顔を合わせて交わっていた霊的な磁場が幕屋の中の最奥部(神の至聖所)にてでした。
今回もこの『幕屋』の学びです。
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幕屋(聖所)建造の目的
【聖書箇所】出エジプト記25章8節
『天幕』
『会見の幕屋』
『あかしの幕屋』
『聖所』
「幕屋」の名称
モーセ五書では、神の御住まいである「幕屋」(「ミシュカン」מִשְׁכַּן)を表わす四つの名称が用いられています。
(1) 「天幕」(「オーヘル」אֹהֶל)
(2) 「会見の天幕」(「オーヘル・モーエード」אֹהֶל מוֹעֵד)
(3) 「あかしの幕屋」(「ミシュカン・ハーエードゥット」מִשְׁכַּן הָעֵדֻת)
(4) 「聖所」(「ミクダーシュ」מִקְדָשׁ,連語形はמִקְדָּשׁ)
他には、「仮庵」を意味する「スッカー」(סֻכָּה)。
そして「主の家」の「ベート・アドナイ」(בֵּית יהוה)があります。
特に「主の家」は約束の地のシロにおける主の神殿(「ヘーハル・アドナイ」הֵיכַל יהוה )を意味していました。
(出23:19, 34:26, Ⅰサム1:9, 3:3)
出エジプト記25章9節では「幕屋」が冠詞付の「ハッミシュカーン」(הַמִּשְׁכָּן)で使われていますが、8節では、「聖所」(「ミクダーシュ」מִקְדָשׁ)としています。
「ミクダーシュ」は「聖なる場所」「聖別された場所」という意味で、旧約で75回使われています。
初出箇所は出エジプト記15章17節。
また「ミクダーシュ」はエゼキエル書の特愛用語(31回)でもあります。
●ちなみに、「幕屋」を「天幕」(「オーヘル」אֹהֶל)という言い方をすることがあります。
「天幕」とは移動式の住まいを意味します。
出エジプト記40章1節では「会見の天幕である幕屋」と表現しています。
「会見の天幕」は「オーヘル・モーエード」(אֹהֶל מוֹעֵד)で、これを新共同訳は「臨在の幕屋」と訳しています。
「会見の天幕」という表現はあっても、「会見の幕屋」という表現はありません。
「モーエード」は動詞「ヤーアド」(יָעַד)で「指定された定まった場所で会う」という意味です。
つまり、礼拝の場所としての公に定められた場所なのです。
ダルグムではこの神の特別な臨在を「シェキーナー」という語で表現して(解釈して)います。
●「あかしの幕屋」(「ミシュカン・ハーエードゥット」מִשְׁכַּן הָעֵדֻת)の「あかし」は、契約の箱の中に収められている二枚の「石の板」(出31:18)のことを言います。
したがって、至聖所を指すこともあります。
聖書で「あかしの幕屋」は6回使われています。
(出38:21, 民1:50, 53, 10:11, 使徒7:44, 黙15:5)
●新約では神殿の内部である「聖所、至聖所」を「ナオス」(ναός)という語彙で表わします。
イェシュアはこの用語を用いてイェシュアご自身のからだこそ神の聖所(ナオス)だと言われました。
(ヨハネ2:19, 21)
ギリシア語では神殿の建物のことを「ヒエロン」(ἱερόν)という語彙で表わします。
●「ミクダーシュ」の動詞「カーダシュ」(קָדַשׁ)は「聖別する」「聖なるものとなる」で、旧約では137回。
その初出箇所は創世記2章3節。
名詞の「コーデシュ」(קֹדֶשׁ)は「聖」。
初出箇所は出エジプト記3章5節で、「(あなたの立っている場所は)聖なる地(である)」(「アドマット・コーデシュ」אַדְמַת־קֹדֶשׁ)とあります。
「コーデシュ」(קֹדֶשׁ)だけでも「聖所」と訳されます。
●「彼らのうちに、彼らの中に、彼らの只中に」(「ベトーハーム」בְּתוֹכָם)は、「真ん中、間、内側、中心、中央」を意味する男性名詞「ターヴェフ」(תָּוֶךְ)に前置詞の「べ」(בְּ)と3人称複数の語尾(־ָם)がついたもので、「彼らのうちに」と訳されます。
●「わたしは住む」は「シャーハンティ」(שָׁכַנְתּי)。「シャーハン」(שָׁכַן)は「住む、とどまる、宿る、幕屋を張る、宿営する」(旧約では132回)という意味で、それに1人称接尾辞がついています。
【新改訳改訂第3版】
民数記 9章18節
【主】の命令によって、イスラエル人は旅立ち、【主】の命令によって宿営した(「ハーナー」חָנָה)。
雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営していた(「シャーハン」שָׁכַן)。
●この箇所には「宿営する」という意味の二つの動詞が使われています。
「ハーナー」(חָנָה)は、本来、日が傾くことで、野営するという意味の「宿営」ですが、「シャーハン」(שָׁכַן)は「幕屋を張る」という意味での宿営です。
前者は単なる「宿営」ですが、後者は神の導きにおける「宿営」なのです。
ですから、日が昇ったとしても、主の導きがなければ、旅立つことはできませんでした。
「シャーハン」は神と人との永遠の住まいにおける休息の意味を含んでいます。
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