シリーズ「霊の中に生きる」 No.5人の霊(5) ⑪
シリーズ「霊の中に生きる」 No.5
人の霊(5) ⑪
●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。
神のみことばは私たちが想像するレベルをはるかに越えた奥深い世界です。
物事を秘密にするのは神様の誉れだからです。
それゆえ、それを探し出して発見する者たちが必要なのです。
エレミヤ書29章13節には「あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける」とあります。
私たちは霊の中で主の秘密を探し求めなければなりません。「探る」と訳されたヘブル語は「ハーカル」(חָקַר)で、徹底的に調べて隠された事柄を見つけるという意味です。
これが神の代理者である王たちの務めであるとすれば、同じく「王である祭司」として召された私たち(エクレシア)もこの使命を理解する必要があります。
それは神の豊かな知恵を、この世ばかりでなく、「天にある支配と権威(=サタン)に対して、エクレシアを通して」示すためなのです。
神が隠している秘密を見つけるという使命が教会に与えられているのです。このことにもっと力を注ぐ必要があります。
それが私たちの誉れとなるのですから。
*『エクレシア』
=神に集められた者の臨時の集会
エクレシア(ギリシア語)→チャーチ(英語)
→教会(日本語)
チャーチ(英語)を教会(日本語)と和訳したのは大きなミスティーク(失敗)です。
最後に(神の事実にとどまることの重要性)
【新改訳2017】
ヨハネの福音書15章4~5節
4
わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。
枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
5
・・わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。
4節の前半は、「あなたがたはわたしにとどまりなさい」という命令です。
これは、これまでイェシュアを通してなされた神の包括的事実(受肉、洗礼時の取り込み、十字架の死と復活、昇天、着座)を、信仰をもって個別的に受け入れてイェシュアの中にとどまることを意味しています。
しかし、命令文に続く後半の「そうすれば、わたしもあなたがたの中にとどまります」には、永遠にイェシュアが私たちの中にとどまってくださるという約束が語られています。
この順序が重要です。
“神の事実と神の約束を霊の中であるがままに「アーメン」と言って信じること、そのことが重要なのです。”
その結果、多くの実を結ぶことができるのです。
アーメン!シェーム、イェシュアよ!
感謝します。
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