日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ、シリーズ『神の御住まい(幕屋)』門、入口、垂れ幕(「わたしは門です」⑤
日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ、
シリーズ『神の御住まい(幕屋)』
門、入口、垂れ幕(「わたしは門です」⑤
『“神に召された一人の偉大な指導者”が誕生すると、奴隷状況にあった一つの民族が解放されて、神の使命に生きる偉大な民族と変わりゆきます。その最初の選びがイスラエル民族にありました』。
神に出会い神の力に加持されたカリスマ的指導者、神の人、モーセの秘密力こそホレブの山での神と顔と顔を合わせての出会いの経験でした。
後に出エジプトしたイスラエルの民はこのモーセを指導者として40年間の荒野生活を通ってきたことはこれまでで学びました。
このイスラエルを導くモーセが常に神と顔と顔を合わせて交わっていた霊的な磁場が幕屋の中の最奥部(神の至聖所)です。
幕屋の学びを続けて参ります。
あい
幕の面積
●幕屋の入口の三つの幕はすべて「青色、紫色、緋色の撚り糸と、撚り糸で織った亜麻布」という同じ材料で作られており、以下のように、面積はいずれも同じく100平方キュビトだということです。
① 大庭への入口の幕(長さ/幅20キュビト、高さ5キュビト)
② 聖所への入口の幕(幅10キュビト、高さ10キュビト)
③ 至聖所の垂れ幕(幅10キュビト、高さ10キュビト)
●すべての幕の面積が等しいということは何を意味しているのでしょうか。
100という数字を表わすヘブル文字は「コフ」(ק)です。
これは「希望」を表わすヘブル文字です。
神は門をくぐるすべての者に対して等しく、神と人とが共に住むことの希望を備えておられると言えます。
●庭への入口は幅が20キュビトと広いですが、高さが5キュビトだけです。
ここでの広さは神の愛の広さを示しているように思います。
しかし、聖所と至聖所の入口は幅は10キュビトで、庭の入口の半分ですが、その代わり、高さが2倍の10キュビトになります。
10キュビトの高さは少なくとも4.5mはあります。
従ってだれもその高みにまで手を伸ばすことができないような神との至高の交わりとなります。
門(入口)は狭くなり、それを味わう人はおのずと少なくなりますが、キリストを深く知る、より崇高な、より深い神との親密な交わりが備えられていることを示しています。
●これらの幕は、いずれも入口としての役割を持っており、かつ外部から近づく人の目から内部を覆い隠しています。
従って、それらは自ら神を尋ね求めることがなければ、神のご計画における希望を知ることも、また味わうこともできない「仕切り」ともなっているのです。