日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ 。シリーズ『出エジプト記』に読む神のご計画 12. 出エジプトの輝かしい勝利の歌②
日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ 。シリーズ『出エジプト記』に読む神のご計画
12. 出エジプトの輝かしい勝利の歌②
出エジプト記 15章1節~21節
『“神に召された一人の偉大な指導者”が誕生すると、奴隷状況にあった一つの民族が解放されて、神の使命に生きる偉大な民族と変わりゆきます。その最初の選びがイスラエル民族にありました』。
今回は「12. 出エジプトの輝かしい勝利の歌②」について学びます。
出エジプト記15章での瞑想の焦点を、エジプトから救い出した神の目的(贖いの目的)に当ててみたいと思います。
特に、13節と17節に注目します。
【新改訳改訂第3版】
13節
あなたが贖われたこの民を、あなたは恵みをもって導き、御力をもって、聖なる御住まいに伴われた。
17節
あなたは彼らを連れて行き、あなたご自身の山に植えられる。
【主】よ。御住まいのためにあなたがお造りになった場所に。
主よ。あなたの御手が堅く建てた聖所に。
1. 神の贖いの恩寵的行為を表わす動詞
15章13節から、神が贖われた民に対する恩寵的行為を表わす二つの動詞の最初は「導かれた」です。
(1) 「導かれた」その1
すでに出エジプト記13章17, 21節にも使われている「導く」と訳された「ナーハー」נָחָהは神が民を導く用語として旧約で39回使われています。
そのうち18回が詩篇で用いられています。その多くは「導いてください」という嘆願の祈りの中で使われていますが、詩23篇3節、および、詩78篇14節と53節には、2度、肯定的に神の恩寵としての導きが述べられています。
私たちは、日毎に、神の導きを経験しているかどうか、神が自分の生涯に備えられた道を歩みそこなっていないかどうかを点検する必要があります。なぜなら、「主は、…御名のために、私を義の道に導かれます。」(詩篇23:3)とあるとおり、主の導きは神の子どもに与えられた特権であり、実り多い生涯を送れるようにと神が愛のうちに備えてくださったものだからです。「御名のために」とは、「神ご自身が、ご自分の名にかけて」という強い責任を表わすことばです。
また、イザヤ58章11節には「主は常にあなたを導き」とあります。「常に」とは「継続的に」と言う意味です。
私たちが意識してもしなくても、神の導きは継続的です。
父である神は、本質的に与えることを喜びとする神であり、子である私たちの益のために、つまり、ご自分のきよさにあずからせようとして懲らしめることをする方です。
肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。
ヘブル人への手紙12章10節