日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ 。シリーズ『出エジプト記』に読む神のご計画 11. 紅海渡渉の経験②
日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ 。シリーズ『出エジプト記』に読む神のご計画
11. 紅海渡渉の経験②
出エジプト記 13章17節~14章31節
『“神に召された一人の偉大な指導者”が誕生すると、奴隷状況にあった一つの民族が解放されて、神の使命に生きる偉大な民族と変わりゆきます。
その最初の選びがイスラエル民族にありました』。
前回から「11.紅海渡渉の経験」について学んでいます。
今日はその第二回目です。
本文
11. 紅海渡渉の経験②
【聖書箇所】13章17節~14章31節
はじめに
神はご自身の民を造り出すために、単に、彼らをエジプトから脱出させただけでなく、紅海渡渉の経験をさせることで、明確にエジプトに対する訣別経験を与えようとされます。それが紅海渡渉という出来事です。
『雲の柱、火の柱』シャカイナ、グローリー
今回は特に聖書の信仰を学ぶ私たちにとって大変重要な箇所です。
出エジプト記 13章21 節
【主】は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。
上記のみことばには、神が民を導くための不思議な表現があります。
「雲の柱」と「火の柱」ということばです。
これらはいったいどんなイメージでしょうか。
昼は「雲の柱」の中に主がおられて彼らを導かれました。夜は「火の柱」の中に主はおられて彼らの進み行く道を照らしたのです。
とても不思議な光景です。
イメージはよくつかめませんが、「雲の柱と火の柱」によって導かれたということは、「神が民と共におられたということ」、そして「神の導きは民から離れることなく絶えずあったということ」を表しています。
神のご臨在(シャカイナ、グローリー)
“神の霊の中に生きた”イスラエルの民
この「雲の柱、火の柱」は神の民の導き手として彼らの前を進み、“神ご自身の臨在を明らかにしていた”のです。
『シャカイナ、グローリー』
見えない神の霊が目に見えるようにそのご臨在を現した。神の栄光を現した。これを『シャカイナ、グローリー』と表現します。
エジプトから救い出された民たちは神に導かれて【回り道】させられるのですが、どこへ行ったかといえば、神は山間の狭い険しい道へと導きました。そこでは前方は紅海、左右は山々がそびえ立ち、いわば地形的に言えば、彼らを閉じ込めるような「袋小路」の場所でした。
主はその導きの真意をしもべモーセに仰せられました。
パロはイスラエル人について、『彼らはあの地で迷っている。荒野は彼らを閉じ込めてしまった。』と言うだろう。しかし、わたしはパロがイスラエルのあとを追うならば、パロとその全軍勢を通してわたしの栄光を現わし、エジプトはわたしが主であることを知るようになる」と。(3~4節)
『イスラエルの盾となるシャカイナ、グローリー』
パロとその全軍勢はイスラエルを追跡して、紅海の海辺で宿営しているイスラエルに追いつき近づいてきたとき、なんと“イスラエルを導いてきた先頭の雲の柱が位置を変えた”のです。
つまりイスラエルの前から後ろに移動してイスラエルの陣営とエジプトの陣営の間に入りました。そしてその雲の柱は真っ黒な雲となったために、エジプトの軍勢は近づくことができませんでした。
つまり、雲の柱(シャカイナ、グローリー)はイスラエルの盾となり、敵が近づけないようにしたのです。
そのとき、モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風を吹かせて、海の水を退かせ、海を陸地とされたのです。イスラエルはその海の中の道を進んでいきました。その間、水は彼らのために右と左で壁となっていたのです。
渡り終わったあとに、エジプト軍が追いかけるように海の中に入って行きました。全軍が海の中に入ったとき、モーセが再び手を海の上に差し伸べたとき、海が元の状態に戻りました。エジプト全軍勢は壊滅したのです。
「残された者はひとりもいなかった」と聖書は記しています。この出来事によって、イスラエルの民がもう決してエジプトに帰ることができないように神はされたのでした。
だれがそのようなことを考えることができたでしょうか。彼らが前は海、横は山々、そうした状況に追い込まれたとき、エジプトから脱出した民たちは「ここで死ぬよりはエジプトにいたほうがましだった」(14:12)とモーセに叫んでいたのです。
ところがどうでしょう。
神の導きは彼らの思いを、予想をはるかに超えていました。このようにしてイスラエルの荒野の旅は始まっていくのです。
40年にわたって、、、
この神の意図とする御心は何だったのでしょうか?!