シリーズ「霊の中に生きる」 No.10人の霊(10)⑦
シリーズ「霊の中に生きる」 No.10
人の霊(10)⑦
●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。
シリーズ「霊によって生きる」の第十回目です。
今回も「人の霊」について扱います。
今日はその第7回目です。
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【新改訳2017】
エペソ人への手紙1章20~23節
20
この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、
21
すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。
22
また、神はすべてのものをキリストの足の下に従わせ、キリストを、すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられました。
23
教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。
23節に「教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです」とあります。
「満たす方」と訳された「ホ・プレーローマ」(πλήρωμα)は、「満ちている」を意味する動詞「プレーロー」(πληρόω)の名詞です。
「満ちておられる」は「プレーローは(πληρόω)の分詞で「満ち満ちている、充満している」状態を意味します。「教会、集会、召会、召衆」とも訳される「エックレーシア」は「キリストの充満」です。
聖霊で満たされることも、キリストの充満によって満たされることも、同じく「プレーロー」(πληρόω)です。
エックレーシアは人間的な組織や制度によらない、「神の現臨、霊的なあふれそのもの」です。
天の御座は比類なきものであり、すべてのものをキリストの足の下に従わせることのできる支配と権威の座です。
Ⅰ歴代誌 29章23節に「こうしてソロモンは【主】の王座に就き、父ダビデに代わって王となった。彼は栄え、全イスラエルは彼に聞き従った。」とあります。
「ソロモンは【主】の王座に就き」とは、エックレーシアのかしらとしてのキリストの型です。
ソロモンの王座はその影にすぎません。そのような意味で、イェシュアは「王としての神の座に着かれた」と言うことができます。
「外なる人」である御子のかたちも、「内なる人」である御子の似姿も、いずれも私たちの霊の中におられる御霊のとりなしによって造り変えられていくのです。
その造り変えられた石が「新しいエルサレム」(黙示録21章)においては、様々な宝石と真珠となります。
宝石にしても真珠にしても、それらは石が造り変えられることによってできるものです。イスラエルの民は「12の宝石」に、エックレーシアは「12の真珠」に造り変えられています。
それは人が永遠の「王である祭司」として造り変えられたことがたとえられているのです。
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