『日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ』 シリーズ『出エジプト記』に読む神のご計画 第三章 ③
『日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ』
シリーズ『出エジプト記』に読む神のご計画 第三章 ③
私は『私はある』という名の神の聖名
2. モーセにはじめて啓示された神の新しい名
出エジプト記ではじめて明らかにされた神の名は、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」でした。
これはモーセにはじめて啓示された名前です。
もうひとつは「エイェ・アシェル・エイェ」です。
いろいろと訳されているのですが、「わたしは、『わたしはある』という者である」
英語では、
I am that(who) I amと訳されており、I am that(who) I am の定式の後に来る内容が重要なのです。
ヨハネの福音書では神の御子イェシュアはご自分のことを「わたしは・・・である」という構文の「・・・」に、
「いのちのパン」(6:35)
「世の光」(8:12)
「門」(10:9)
「良い牧者」(10:11)
「よみがえりであり、いのち」(11:25)
「道であり、真理であり、いのち」(14:6)
「まことのぶどうの木」(15:1)
と自己宣言しておられます。
このように、ひとつのことばでは言い切れないために、「わたしは、『わたしはある』という者である」としたのだと思われます。
この名前は、まことに、神の永遠性、超越性、不変性を表わすのにふさわしいものと言えます。
モーセが自分を遣わされる神の名前が何であるかを知ることはとても重要であったのですが、「エイェ・アシェル・エイェ」だけではよく分からなかったのではないかと思います。
やがて出エジプトを経験する者たちがいろいろな神経験をするなかではじめて知っていく名前だったからです。
たとえば、出エジプト記では、
「わたしは主、あなたをいやす者である。」(15:26)
「わたしはあなたがたを聖別する主である」(31:13)
「主はあわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者」(34:6)
と、このように宣言されています。
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