日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ 。シリーズ『幕屋の庭(囲い)とその象徴的意味』①
日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ 。
シリーズ
『“神に召された一人の偉大な指導者”が誕生すると、奴隷状況にあった一つの民族が解放されて、神の使命に生きる偉大な民族と変わりゆきます。その最初の選びがイスラエル民族にありました』。
幕屋の庭(囲い)とその象徴的意味①
神に出会い神の力に加持されたカリスマ的指導者、神の人、モーセの秘密力こそホレブの山での神と顔と顔を合わせての出会いの経験でした。
後に出エジプトしたイスラエルの民はこのモーセを指導者として40年間の荒野生活を通ってきたことは前回のシリーズで学びました。
このイスラエルを導くモーセが常に神と顔と顔を合わせて交わっていた霊的な磁場が幕屋の中の最奥部(神の至聖所)にてでした。
●出エジプト記25章から27章には、幕屋建造の指示が記されています。
その順序は幕屋の最も聖なる所にある「契約の箱」から始まり、幕屋を囲んでいる外枠へと及んでいます。
この順序は神へのいけにえでも同様です。
五つのいけにえのうちの最も重要な「全焼のいけにえ」から始まって「罪過のいけにえ」へと説明がなされていきますが、私たちが神に近づくためには、神の順序の反対からです。
幕屋では囲い全体の東の門から入り、そして(祭司、大祭司を通してですが)至聖所へと至ります。
ささげものも「罪過のいけにえ」から始まり、「全焼のいけにえ」へと進みます。
●ここでは、幕屋全体を囲っている枠を聖書は「庭」(「ハーツェール」חָצֵר)と記しています。
それとその象徴的意味について考えてみたいと思います。
この図は100キュビトと50キュビトを分かりやすくするために描かれていますが、実際は異なります。
●幕屋の構造の枠となる長さと幅は、それぞれ100キュビト、50キュビトで、その比率は2:1です。
長さの単位である「キュビト」と訳された原語は「アンマー」(אַמָּה)です。
1アンマは腕の肘から手中指までの長さですが、その長さの解釈には幅があります。
短いアンマは45.6cm、長いアンマは53.2cmです。
その中間の長さ(平均値)を取ると49.4cm。つまり約50cmと考えることができます。
したがって幕屋の長さは約50m、幅25mとみなすことができます。
そして高さは5キュビトの2.5mです。
その周囲は亜麻布で囲まれていました。
だれでも容易に囲い越しに中を見ることはできない高さです。
この高さと布によって幕屋の内側は、門を通って入らない限り、外から覗くことはできなかったのです。
●この囲いで仕切られる内側を、幕屋の「庭」と言います。
門を通ってこの「庭」の中に入ることにより、神と人との交わりが可能とされます。
ですから、人がこの枠の内側にいるのか、外側にいるのかが、神とのかかわりにおいてきわめて重要なことなのです。
●マタイの福音書1章23節に、処女マリヤから生まれる男の子の名は、イザヤが預言した「インマヌエル」と呼ばれるとあります。
正確には、「インマーヌー・エール」(עִמָּנוּ אֵל)で、「神が私たちとおられる」という意味です。
これをヨハネの福音書1章14節では「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた(幕屋を張った=「シャーハン・ベトーヘーヌー」שָׁכַן בְּתוֹכֵנוּ)と表現しています。
このことが神の永遠のヴィジョンの究極的な目的です。
それは、神の家(「ベート」בֵּית)を建てる(「バーナー」בָּנָה)ことを意味します。
そのためには、神の御子(「ベーン」בֵּן)がこの世に来て(「ボー」בּוֹא)、人と共に住むために結婚し(「バーアル」בָּעַל)なければなりません。
それを実現するのは神のひとり子(長子)(「バル」בַּר)です。
以上のように、太文字のすべてにヘブル文字の「バイト」(בּ)が使われているのは、神の秘密です。