自分と子どものバランスの話。娘への「ごめんね」を吐き出してみる。
自分の時間を必死に探す私と、仕事時間を必死に守ろうとする夫。
それは、疑う余地もなく存在する。
それが自分を悲しくさせるし、愛する娘へ、たまに、「ごめんね」って思ってしまう‥
無償の愛をもらうのは、「親」のほうだ
私は、この小さな小さな人に、大きく大きく愛されています。
娘は、容赦なく、私を必要としていて、必死に求めてきます。ベットの上にいる娘は、私が受け止めてくれることを疑いもせずに、私がいる床のほうに向かって飛び込んできます。
小さな娘は、満面の笑みで、時には大声を出しながら、いつでも私を待っている。それが、たまらなく、たまらなくかわいい。
そう、私は無償の愛を、無限に注いでもらっています。
こんなにも、私を必要としてくれる存在がいるってことは、今までに経験したことがありませんでした。
その一方で、必死に自分のための時間を探す自分もいる。同じくして、そんな夫もいます。
育児は私に+をもたらした
私の場合、強がりとかそういうのではなく、「育児がつらい」と思ったことは今のところ、一度もありません。
たくさんできないこと、向いてないことがある中で、教育やキャリアや人にアンテナが立っている私は、おそらく、人より育児が向いているんだと思います。
だから、育児があることでいろんなバランスがとれなくなって、支障が出てしまうことはあっても、「子を育てる」それ自体が苦になったことは一度もありません。
「自分」と「子ども」のバランスの話
娘を預ける場所を必死に探して、娘を家族や一時保育に預けて自分時間をもらうとき、もう少しここにいたい気持ちと、今すぐに帰りたい気持ちがあります。
割合はその時々だけど、前者の割合が上回ることのほうがおそらく多いと思います。
私にとって、何が苦なのかって、
「自分」と「娘」のバランスを自分自身で選択できてしまうこと。
その時間や心の配分に正解はないし、他人と比較する必要なんてないって、ことは分かっている。
比較はしなくても、全身で愛を伝えられている自信がある。自信はあっても、やっぱり心のどこかでちょっとした罪悪感が残ります。
折り合いのつけ方
こんな風に、自分の時間を求めていると「ごめんね」って、思うときがあります。
きっと、仕事復帰したら、もっともっと増えていくんだろうな‥。
今の折り合いのつけ方は、時間を可視化して、タイムマネジメントをすること。ON/OFFをつけてすごして、自分も娘も、どっちも大事にすること。
それでも、「ごめんね」は完璧にはぬぐえないと思う。完璧に、なんてことはないのだろうかなぁ。そこまでの余裕が、私にはまだないんだと思います。
世の中のお父さんお母さんたちは、どうやって折り合いをつけているんだろう?
まだまだ未熟で、若くて、成長途中です~