50歳・ひとり10年日記
「10年日記」というものがあるのを知った。
いや、前々から存在は知っていたが、そういやそういうのもあったなと興味を持った。つけてみてもいいかもな、と。
と、いうのももうすぐ私は一人暮らしになる。
夫が単身赴任するのだ。
子供はいない。
猫はいる。
ひとりぼっちだけどひとりじゃない、そんな奇妙な生活がもうじき始まる。予定としては、なんと10年。長い。あまりにも長い。
これまでの10年をーー例えば20から30までの10年でも、なんなら小中学校の9年でもいいーー思い返してみれば、10年なんてあっという間だった。
けれど、それらはとても濃密だったはずだ。
写真を見れば「ああ、あんなこともあったね」と言い、友人と話せば「そんなこともあったね」と笑い合える『あっという間』だ。
けれど、これから始めようとする10年間は違う。
ひとりぼっちで、毎日これといった変化もなく、淡々と、黙々とした10年だ。きっとあっという間ではない。『長かったなぁ』の10年だ。
不安は猛烈にある。
しかも私は、今年体調を崩して退職したばかり。
適応障害と診断されているが、更年期なのか、鬱なのか、躁鬱なのか、そこは一年近く心療内科にかかっているが未だ担当医すら判断しかねている状態。
夫と離れてしまうのも怖い。
昨今の治安の悪さも勿論だが、離れることで心まで離れてしまい、お互い「居なくてもなんとかなるな」となってしまうのが怖い。
あと、単純に寂しい。
単身赴任が決まってからというもの、私たちは遊びまくった。今まで「いつか行こうね」と語っていた場所を、リストアップして巡りに巡った。
その中に、とある水族館があった。
そこまで期待はしていなかった場所だったが、これが存外面白く、子供のようにはしゃいで回った。
その日、お土産売り場で、夫が3Dレーザーで彫られたガラスのクラゲを買ってくれた。ライトをあてると七色に光り、まるであの日の水族館が手のひらに収まるかのようだった。
早速ベッドサイドに飾ってはみたものの、いざつけるとその美しいクラゲを見て、あああの日は楽しかったな、あの日は2人でいたんだなと思い返しては涙が溢れてしまったので、まだ一度しか点灯していない。
これを書いている今も滂沱している。
そこまで寂しいなら帯同するという道も勿論あるのだが、持ち家を自分で維持するのと、借家として賃貸に出すのとでは、おそらく傷み方が全く異なって来るだろう。子もなく老いていくだけの未来、終の住処は残すにしても、リフォーム代は最低限に抑えたい。
また、複数の猫を住まわせてくれる賃貸が向こうで上手く見つかるかも不安だ。こちらについては、じっくり探し続けて、タイミングよく見つかるのを待つしかない。
医師からは、「鬱状態での引っ越しは薦められない」と渋い顔をされている。これは自分でも重々身に沁みている。
ともあれ、「今ではなく、いつか帯同するかもね」という道は残しつつの一人暮らしのスタートというわけだ。
寂しさは拭えないが、せめて「こんなふうに生きていたよ」の積み重ねがあれば、虚無の日々ではなかったと思い返せるかと思い、10年日記を初めてみようと思った次第だ。
しかし10年を1ページで見返すことが出来るとなると、一日に書くことがほんの数行程度となる。おしゃべりな私には少し足りないのではないだろうか。
そこで、このnoteを初めてみた。
とはいえ抑うつ状態の初老女のすることだ、ある日急に面倒になって投げ出すかもしれない。どこまで続くか果たして不明だが、まずは1ページということで。
それはそれとして、紙の「10年日記」も買ってみようと思っている。