【エッセイ】かまどのかまど | #03
第3回「春から、この町に」
その子を迎える環境は、店員の男の子の丁寧な案内で程なく揃えられた。
彼は僕に、ひとつの商品につき2、3の候補を挙げ「どれにします」とケージレイアウトを考える楽しみを与えてくれようとした。しかし僕の答えのほとんどが「今使っているもので」だった。
その度に彼は「あぁ、そうですよね」といった具合で引き下がってくれたが、今思えば彼の好意に対してすげない態度をとってしまったのかもしれない。
少し申し訳ないことをしてしまった。
必要な物を一通り取り揃えたところで僕は彼に尋ねた。
「ところで、この町にはこの子たちを診てくれる動物病院はあるんですか?」
彼は好意的な微笑を目元にたたえながら、
「少ないですけど、ちゃんと診てくれる病院はありますよ。僕もこの春からチンチラを飼ってるんですけど、何度かその病院にかかりました。エキゾチックアニマルも診てくれる良い先生がいるんです。この町の病院のリスト、コピーしてきます。差し上げます」と言って足早に奥の事務スペースに戻っていった。
彼が戻ってくるまでの間、僕は手持ち無沙汰になってしまった。
ケージに目をやると、さっきまで貼られていた個体詳細カード兼値札が剥がされている。
その子はもう売られてはいない。
どこにもいかない。
我が家に来るのだ。
僕は、ケージの中を忙しそうに上下するその子を眺めながら、スーのことを想い出した。そして決意を新たにしていた。
「お待たせしました」
彼の声で我に返った。彼はA4用紙1枚にまとめられたこの町の病院リストを見せてくれた。リストはパソコンの表計算ソフトで作られていた。単色で刷られたリストは、店内に貼られた数々のチラシに比べると無機質な印象を与えたが、必要な情報だけが端的にまとめられていた。
病院ごとに診察できる動物が明記されており、そのリストによるとこの町でデグーを診てくれる病院はひとつだけだった。
「僕がチンチラを診てもらった病院は、この町のこの病院です。ま、デグーもチンチラも診てくれるのはこの病院しかないんですけどね。隣町にも診てくれる病院があるんですけど、どうやら腕の良い先生が異動したとかいうウワサがあって、、、」
彼は同類が見つかったといわんばかりに饒舌だった。その言葉尻には、人の良さが手にとるように感じられた。
先に自分で調べておいた総合病院は、そのリストには記載されていなかった。その病院にはきっと行かないだろうなと思った。
知らないうちに店内に流れていた「蛍の光」のBGMが止んだ。営業終了の20時を5分過ぎている。
業務連絡だけがまばらに飛び交う沈黙のなか、レジで支払いを済ませ、カウンターで同意書などの書類を書く。
チェックやサインを書くたびに、その子との生活がひとつひとつ近づいてくる。
ボールペンのボールが転がる感触が、指から肘にかけてごろりごろりと伝わる。
不思議な高揚感が、その一画一画に重みを与えた。
「以前、デグーはいつ頃飼ってらしたんですか?」
彼の言葉が硬質な沈黙を破ってくれた。
「去年までの6年間です。でもこの春にこの町に越してきたので、病院とかも含めて飼えるか不安だったんです」
「この春。僕も去年の春からこの町に住んでいるんです。一人暮らしが寂しくってチンチラをお迎えしたんですけど、同じような気持ちだったな。」
「そうなんですか。何か、奇遇ですね」
ふと笑みがこぼれる。