俺が出た。1/2

おはよう。

「俺は」で書き出すか、「私は」で書き出すかの一瞬の判断が文体を決定する。
町田康が言うことを、俺はずっと昔から考えている。別に、町田康より俺のほうが先で、とかなんとかカレーとかライスとか、マウントのひとつでも取ったろかという考えはない。ただ、俺にとって「俺」で書くのか「私」で書くのかは、文章を書くときの大きな問題点のひとつであった。
今日は声をヤッてしまってラジオの更新ができそうにないから、そんなことを書こうとおもう。

小学校のころ父に置き手紙を書こうとしたときのこと。
なんや冷蔵庫に入ってたプリンかアイスかのsomething を食べないでねという意の手紙を書きたかったんだろう。俺はもとより一人っ子だったので、だれかに冷蔵庫のなかのおやつを盗られるなんてことはほとんどなかったが、ただ父だけが俺の敵となり得た。そこで慣れない手紙を書いて、そのsomething を守ろうとしたのだ。
メモ帳にペンを執って書きつける。

〈冷蔵庫におやつが入ってんねんけど、絶対に食べんとってな。〉

文字がアフリカの踊りを踊っている。
書いてみて、どうしょうもない違和感に襲われた。

 「〈食べんとってな。〉ってなんか言い方キツないか?」

あいにく父は怖かった。陽気ではあったが、そのぶん正気ではないくらい恐ろしかった。その父に変な言い方をすれば、確実にどやされる。それは嫌すぎた。そう考えると〈入ってんねんけど〉も妙に馴れ馴れしい気がしてきて、あぶら汗が滲んだ。これは、ヤバい。書き直した。

〈冷蔵庫のおやつが入っていますが、食べないでください。〉

あかん。白々しすぎる。親にこんなそよそよしい言い方をすれば、お前親に向かって何を白々しくしとんねん、言われて逆にげんこつを食らってしまう。書き直した。

〈冷蔵庫におやつが入ってんねんけど、食べないでください。〉

なんかちゃうー。途中まで馴れ馴れしくて、いきなりシュッとしよる。これは俺とちゃうー。
俺は混乱を極めた。

どうしていつも口にしている言葉をそのまま文字にすると、馴れ馴れしかったり、キツい印象になってしまうのだろうか。
学校で習った「ですます調」で書くと、作文やったら何も感じへんのに、父への手紙やと妙な白々しさが出てしまうのか。
果たして、どちらで書くのがいいのだろうか。

結局そのときは四回目書き直して、はじめの〈冷蔵庫におやつが入ってんねんけど、食べんとってな!〉という「!」をつけてちょっとポップにさせるという、おじさん構文もびっくりの高等テクを編み出したわけだが、どうして普段口にする言葉を文字にすると変になるのかは分からないままであった。

以来俺は、口語を文字化しては消し、文字化しては消しを繰り返した。
自分は相手にフレンドリーに近づきたいだけやのに、どうして変になってしまうのか。「ですます」で標準語に似せて書いた言葉なんか、自分の言葉とちゃう、かっこつけの東京人や!と違和感を持ち続けてきた。

だから織田作之助や町田康の文体は、俺にとって衝撃だった。
でも、いくら真似てみても、なんかちゃうという違和感は消化されなかった。

そんな折、大学に入ってすぐの「文学論」という必修の授業で「言文一致」というムーブメントについて学ぶ。
俺としては、結構目の前が明るくなった経験であったんやけど、思ったより長なったもんで、だもんで、今日はこの辺で勘弁しといたろ。

ほな。

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