【エッセイ】かまどのかまど | #09
第9回「かまどの声はおじさん」
Twitterをはじめている。
といっても、これまでもTwitterのアカウントは持っていた。メインのアカウントと、趣味に特化したアカウント。どうも性根が優柔不断かつ欲張りなので、ひとつに絞ることができない。子供の頃、「ひとつのことに集中しなさい」「買えるお菓子はひとつだけよ」と、母からよく言われた。今回つくったデグーアカウントは3つめのアカウントになる。ひとつのことに集中できないのは、どうやら性分らしい。
ツイートすることはおもにかまどの写真と、ちょっとしたひとことである。たまに飼い主の心の叫びがつぶやかれる。この「ちょっとしたひとこと」が曲者で、飼い主がかまどに扮してつぶやいている。おじさんがかまどに扮しているのである。たぶん裏声で。
動物を飼うと、裏声の赤ちゃん言葉でその動物に話しかけるということはめずらしくない。話しかけた内容に対する返事を、これもやはり裏声で、話すという少し荒めのやりとりをする人も少なくないのではないだろうか。言語をもたない家族を愛するがゆえの、言語を持つものの愛情表現だと理解している。
僕の実家では昔から犬を飼っており、今の子で2代目である。飼い犬を一番に可愛がっている母は、しばしば裏声のやりとりをしてみせた。それはひとりで完結されることもあれば、僕に向けられることもあった。いずれにせよ、そんな場合僕はたいてい苦い目をして笑ってやり過ごした。もちろん、口に出したりはしない。
それが、どうだ。今自分に目をやると、母以上に裏声のやりとりをやってのけている。しかもその模様を、つぶやきという形で恥ずかしげもなく全世界に発信しているのだ。もう苦い目どころの騒ぎではない。つぶやきの中の人がおじさんというのが、また笑いを誘う。動物を溺愛すると、こうも人は変わるのかと我ながら思う。なにせかまどが可愛いのだから仕方がない。1日1回は投稿をして、全世界にかまどの可愛らしさを知らしめてやりたい気持ちである。
そして、あわよくば、いいねがたくさんついて、有名になったりして。
あさはかなことを考えたりして。
Twitterでフォローしてくださる方が増えてくると、いろんなデグーちゃんが見れて、いろんな飼育事情が見えてくる。いいねやリプライの送り合いが生まれる。コミュニケーションになる。周囲でデグーを飼っている人を見つけるのは至難の業だが、Twitterを開けばデグー飼育者のコミュニティが広がる。
どの人もここぞとばかりにウチの子の可愛さを自慢している。
そして、ヨソの子の姿にキュンとしている。
人と同調することが苦手な僕にとって、SNSとはもっとわずらわしい世界だとばかり思っていた。みんな思い思いに主張して、褒めあう。悪くない。ちょうどいい距離感とはこういうことなのか。
おじさんが扮するTwitter「かまどのかまど」もよろしくお願いします。