夢みたいなもんだから
快晴だ。
秋空は半球状に天井を高く掲げているが、足許の影は夏の気配を残して青みがかっている。今はたぶん夏の終わりで、日差しは濃いものの肌を刺すほどではなく、空気はひんやりとしている。
私の立つ一本道の両側には田んぼが遠くまで広がっている。稲は金色に実っていて、しかしよく見ると収穫するにはまだ若い。穂先はふらふらと心許なくお辞儀していた。
同じ高さで続く稲穂の果てに建物の影は確認できず、四方を囲う黒黒と茂った山と田んぼの交わる辺りは遠すぎてどうなっているのかわからない。どうなっていても構わない。
足許のアスファルトは乾いた泥が砕けて埃っぽく白い。前にも後ろにも真っ直ぐに伸びる道の脇からところどころ罅が走っていて、そこにこびりつくようにして芝に似た草が褪せた緑の蜘蛛の巣模様を描いていた。その上に私の影が落ちている。太陽は頭の斜め上にある。時計はないので断言はできないが、午后を少し回ったころだろう。この空気は午前のものではない。
大気の動く音が聞こえる。私の立つ場所よりずっと高くでは強い風が吹いている。私の立つ場所には正面からだったり、右手からだったり、シャツを身体に添わせるくらいの風が吹いて、方方で金色の稲を波打たせている。その葉が擦れあう音と、山の木が揺れる音と、上空で大きなものが動く音が混ざりあって、切れ目のない、ごー……、という唸りに変わる。ひとごとのような遠くで、響いている。
動く大気を吸い込む。粉々になった泥と、まだ若い稲と、路傍の草と、実りを待つ山と、夏の名残と、秋の初めと、どことなく花に似ている何かの甘いにおいがする。
音とにおいとを頭の中で分解しながら、ふと目を閉じる。
というような現実をひとつ用意しておくと、陰惨な日々のあれこれは目を閉じた一瞬の夢になるので、つまらん失敗や他人にかけた迷惑や期待どおりには進まないすべてのことが大したことではなくなる。
私は常に現実にいて、あそこからは一歩も動いていない。こうして文章を書く今も、あの一本道で大気の音を聞きながら大気のにおいを嗅ぎながら、ただ突っ立っている。