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ペイシェントボイスカフェ(小児慢性骨髄性白血病)

日時
2024.10.6

ゲスト
宮城 順さん

【イベント紹介】
患者と医療を繋ぐ活動の一環である。
薬剤師他、医療関係者が患者さんの実際のお話しを聴くことで、患者視点や想いを知り、臨床における薬剤師の発想を広げてコミュニケーション能力向上へ繋げていただくことを目的にしている。
また、参加者同士の交流の場としても機能している。


【経緯】

1990.11.6(骨髄移植)
当時:
分子標的薬治療が始まる10年くらい前
骨髄バンクなどもない

1989.3.17
7歳で慢性骨髄性白血病発病
当時、地域の少年野球チームにいた
グランド5周走るのについていけず、体のだるさを感じた
毎日37.5℃が続いたりしていた
小児科クリニックに通ったが、風邪かもしれないというお話しだった
その後、お腹が膨れ上がった
>クリニックで血液検査
>紹介状の病院にて、大学病院への紹介
>即日入院生活へ

【入院当初】

白血球が54万を越えていた
>進行していた
>点滴治療と薬
>白血球の数値を減らすために2ヶ月半治療
 ▼
根治させるには当時は骨髄移植しかなかった
>無菌室が1室
>1年半ほど使用を待っていた
幼いながら記憶は残っている

【入院中】

辛い思い出が多かった
家族と離れること(甘えん坊だった)
骨髄検査(痛いので、定期的な検査が嫌だった)
点滴やまずい薬、絶対安静の入院生活と終わらない辛い治療
 ▼
30歳過ぎにカルテ開示
紙カルテ
主治医の言葉「必ずや、成功させるぞ!」
先生たちも闘ってくれていた
 ▼
移植後10年間で皮膚のGVHDや感染症、帯状疱疹があったが
2000年に外来終了

【移植後の成長】

小学校卒業時
>免疫抑制薬によりムーンフェイス
 ▽
高校卒業時
>二次性徴がなく声変わりや髭が生えてこなかった

【学校生活の悩み】

学校に通うのが精一杯
治療後体力はなく、集中力もない
>理解がない先生だと怠けていると思われる
>休みがちに
 ▼
勉強についていけなかった
>メンタル面はかなり落ち込んでいた

【就労の悩み】

>フルタイムは体力や集中力もない
>ストレス耐性もなくメンタル不調に
最初は親戚の会社で面倒を見てもらった

【10~30代前半の想い】

筋肉もなく外見が幼い
体調を崩しやすくメンタル不調に悩まされる
 ▼
社会生活が送れない
病気は治ったはずなのに・・・
「小児がん治って良かったね」という言葉もあるが
治療中当時は、退院してからやりたいことなど希望があったが、治療後の人生は後遺症で未来への絶望感があった
 ▽
自分と似た境遇の人を知りたくて患者会へ
小児がんのセミナーにも参加した
>長期フォローアップ外来の開始を知った
*過去の小児がん治療によって現われる晩期合併症を診てもらえることを知った

【後遺症が見つかった】

>男性ホルモンが検出されなかった
 ▼
34歳で男性ホルモンの補充療法にてQOLが向上
>男性ホルモンが入ることで、筋力体力の向上と精神面の安定
>治療から3ヶ月、34歳で声変わり
 ▽
睡眠の質が向上(疲れが取れる体に)
筋力の増加(ホルモンを入れただけでフルマラソン完走)
社会生活への自信(正社員にもなることができた)
 ▼
加齢から晩期合併症
体調不良、検査値の悪化
生活習慣関連数値が悪化
強い痛み
頸動脈プラークなど
肝臓数値も200近くに
糖尿病数値も悪化

【今後の課題】

移植をしている
>代謝内分泌疾患、突然死のリスク
>二次がん
がん保険には加入済
*大きな病気でもお金の面では苦しみは最小限かな
 ▼
総投与量上限の抗がん剤
重度の肝機能障害、糖尿病で選択肢が限定的
>主治医からする健常人の6倍は頑張らないと、と
>食生活とかは頑張った
3食、野菜、卵、脂質節制、低GI食品、鶏肉、魚、ビタミン類、食物繊維
>質素な生活

【12ヶ月間の節制の効果】

検査値などは正常値に近づいた
>服薬なしで肝機能障害や糖尿病も数値改善に
 ▼
これからこの節制を続けるのは難しい
>ある程度薬に頼りながら生活をしていこう

【QOLに欠かせない男性ホルモンの薬も供給問題】
>最寄りのクリニックで手に入らず
2週間ごとに大学病院に通院
>有給で処理できず退職へ
治療と仕事の両立のため非常勤職員として定年までを目指す
医師たちから「小児がんは発病から一生医療と関わっていく」と言われている
これからも医療と関わっていくと思う


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