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CAKEを聴いてレッチリとマイクパットンを考える

今や音楽もサブスク、ネット一辺倒でCDを買い漁るといったことも少なくなりましたが、それでもちょっと立ち寄ったリサイクルショップの片隅にCDコーナーがあったりするとまあ隅から隅までチェックしてしまいます。
そんな感じで、情報の溢れている最近では珍しく気まぐれに「ジャケ買い」してみようと思い手に取ったのがCAKEというバンドのセカンド、「Fashion Nugget」。
これがすごく良かった。
1996年発表、ジャンルで言えばグランジ、というにはもっと整理された音でオルタナという分類になるのでしょうか。

https://www.youtube.com/watch?v=F_HoMkkRHv8

でも単に当時の雰囲気プンプンのアートでノイジーなザ・オルタナではなく、とにかくルーツミュージック色が濃い。カントリー、サザンロックといったアメリカ音楽はもちろん、より南下したラテン音楽の雰囲気たっぷり。でも90年代の音楽にしっかり消化してロックしていて、ルーツミュージックそのものはちゃんと聴けない私のような雑魚ロックリスナーにもズンズン刺さるし踊れる。

これは良い買い物したわーと仕事場や車でガンガン聴いてる。(個人的にいくら安くても盤で買うと、サブスクの場合より大事に聴こうと思える。日本盤なら解説読んだり、ABC順に棚に収めたり、、大事!)

で、CAKEを聴いていて思ったこと。この人たちは「音楽が湧いてくる」タイプのミュージシャンなんだろうな~ということ。
私も若い頃から浮き沈みはありつつも常に楽器、バンドに触れて生きてきたのですが、そんな中、たまにいるんです。「湧いてくる」人。プロ・アマ問わず。
ガンガン新曲書いて、もちろん生みの苦しみ、みたいなものはあるのでしょうが、周りから見ると圧倒される音楽力、ゼロからなにかを生み出すパワーに溢れていて表現するために吐き出すように音楽をやる方たち。もしくはプレイするのが楽しくて仕方ない方たち。
CAKEもこれ絶対プレイしていて楽しいんだろうな~という楽曲ばかりで捨て曲なし、通して気持ちよく聴ける。

そして、その「湧いてくる」タイプの対極が「絞り出す」タイプのミュージシャン。何か作らなきゃいけない、売らなきゃいけない、自分が満足できるものを生まなきゃいけない、と自問自答しながら作っていくミュージシャン。もちろんそんな二極化していることはなく、「湧く」タイプだって生みの苦しみはあるだろうし、「絞る」タイプだって多作だったりすんでしょうが、あくまで「どっちかというと」のカテゴライズ。


そこでふと頭に浮かんできたのがタイトルにあるレッチリ×マイクパットンの小競り合い。

発端はレッチリが「母乳」を発表し、マイク・パットンがオルタナティブバンド、フェイス・ノー・モアにボーカリストとして加入、世界的に売れ始めた1988~89ごろ。当時オリジナルのメンバーを亡くしつつも10代のバカテクギタリスト、ジョン・フルシアンテを加えて大きくレベルアップし、先に成功を収めつつあったレッチリのボーカル、アンソニー・キーディスが、当時これまた20歳のマイクパットンを自身のモノマネ野郎と罵倒したことから始まり、度々ディスり合う犬猿の仲に。

マイクパットンは終始レッチリをおちょくっていて、サイドプロジェクトで超バカにした感じにレッチリをカバーしたり、レッチリのジョン一回目の復帰作、「Californication」を発表する日に「California」というタイトルのアルバムを発表しようとしたりと悪意ムンムン。

https://www.youtube.com/watch?v=pdHrGLkFG6U

これって先述の「湧き出るタイプ」マイクと「絞り出すタイプ」レッチリ&アンソニーだったからこその因縁だと思うんです。

まず、レッチリサイド。
2022.2現在、10年在籍したギタリスト、ジョシュ・クリングホッファーから替わって元のギタリスト、ジョン・フルシアンテを再加入させてニューアルバムを発表するところ。特にここまで10年、オリジナルメンバーのアンソニー&フリーは生みの苦しみを味わっていたと感じます。その原因はもちろん、ジョンフルシアンテの不在に尽きる。
若さと野心とミュージシャンシップで過ごしてきた80年代前半。初期は他のバンドと掛け持ちで抜けていたオリジナルメンバー(Gヒレル・スロヴァグ・Drジャック・アイアンズ)が正式に揃って87年に「The Uplift Mofo Party Plan」を発表。そして88年、ヒレル・スロヴァグがドラッグのオーバードーズで死亡、ショックを受けたジャック・アイアンズは脱退。。そしてジョン加入~「母乳」期へ。
個人的にはここでバンドを辞めず、今後もレッチリとして続ける、という覚悟がアンソニー&フリーの今後の運命、「絞り出す」性質を決定づけたと思っています。
かつてAC/DCのマルコム・ヤングは、78年に死亡したシンガー、ボン・スコットの時代が本当のAC/DCだった、とはっきり発言していました。(後任のブライアン可哀そう。。)
レッチリで言えば、オリジナルの二人を失った時点で一度アイデンティティを無くしてしまったのだと思います。
アンソニー&フリーはレッチリそのものであり、脱退する概念もないと思うんだけど、それはやっぱり88年にバンドを続ける、と決めた時に確定した事。ジョンはいつまでも「加入」したメンバーなので割とすぐ辞める(笑)恐らくだけど、ジョン1度目の再加入後は特にジョンVSアンソニー&フリー(チャドはひたすら良心)での摩擦で作品を作り上げたと言える。とにかくクリエイティブなジョンはエゴも強め。アンソニー&フリーがあくまでレッチリとしてジョンのエゴと戦う作業で「Californication」「By The Way」「Stadium Arcadium」と素晴らしい作品を生んだのだと思います。


ちなみにジョン個人はバンドを続けながらもたくさんのソロ活動をしていた「湧き出る」タイプです。対してアンソニーはこれまでソロ作品、サイドプロジェクトはゼロ。他のミュージシャンへのサポート、ゲスト参加も聞いたことない。近年のジョンフルシアンテのインタビューでも、アンソニーがいかに音楽的に素人でそこが面白いか、ということを語っていました。フリーはジェーンズアディクションにサポート参加したりレディオヘッドのトム・E・ヨークとバンドを組んだりもしたけどあくまでベーシストとしての参加で、メインでソングライティングをしたり歌ったりすることはありませんでした。良く言えばネタは全てレッチリへ還元して一点集中!とも言えますが、そんな感じもしないんだよな。


アンソニー&フリーはゼロから1を生み出すタイプのミュージシャンではなくて、ジョンのようなエゴいアーティストの作品を料理、アレンジするタイプのミュージシャンだと思うんです。フリーは一度ソロ作品を作ろうと作曲活動をしたけど、どうしても自分が歌うのがマッチせず止めてしまったと何かのインタビューで言っていました。確か。多分、自信ないんです。「これでいいのだ!」となれない。レッチリとして、フリーとして「これでいいのかな?」となってしまう。アンソニーもそう。素晴らしいパフォーマーで華もあって歌も、、初期からみたら断然上手くなったのに、自信あんまりないんじゃないかな?
ジョンが再び抜けて若くて柔軟な姿勢のミュージシャン、ジョシュが加入したことでアンソニー&フリーの核の部分が表に出て、ある意味これが本当のレッチリになるのではないか、試されるのではないかと思っていたのですが、やはりというかあまり求心力は無く、私も新譜になかなか手が出ず。。(ジョシュはソロ活動も素晴らしい、というか個人的にはレッチリよりよく聴いていた)
と、常にバンドのアイデンティティが定着せず不安定とも言えるレッチリ。一番最初にアイデンティティが打ち砕かれて自信喪失してた時期が、メンバーを失ってバンドを必死に確立しようとしていた88年ごろ、アンソニーがマイクをディスった頃になるのです。

対してマイク・パットンサイド。
20歳にして、他のメンバーは年長者ですでにメジャーで何枚かアルバムを発表していたフェイスノーモアに加入。美しいファルセットからデスヴォイス、ラップ、ジャズ、プログレなんでも高レベルの圧倒的歌唱力のマイクを得てバンドは一気にブレイク。マイクは加入前から組んでいたよりアバンギャルドなミスターバングル、メルヴィンズのメンバー等と組んだファントマス他、サイドプロジェクトも数えきれないほどやっていて、映画のサントラやゲームキャラの吹替まで仕事の幅広いこと!凄まじくアクティブ。Wikiで見るだけでも色々溢れまくっちゃっててお腹いっぱいです。現在も2009年に再結成したフェイスノーモアを始め、常時2~3掛け持ちしてるイメージ。

そんな、常にユーモアを持ってアイデアに溢れ、圧倒的な歌唱力と音楽力で業界をエンジョイしているマイクにとっては、レッチリがシリアスにもがいてメンバーとの軋轢に苦しみながら作品を作っているのは理解できない。正直、パフォーマーとしては別として、歌唱力、音楽力は圧倒的にアンソニーよりマイク。最初に喧嘩を売ったアンソニーは、メンバーを失いつつもバンドでのし上がって行こうとするときに、自分とスタイルが被っている若く才能に溢れたマイクを見てあせった部分はあったと思うのです。

もう両者は修復不可能な関係だし、恐らく分かり合えることもないのでしょう。

ただ、ここまでの感じだと有能なマイクと無能なレッチリ、という構図に見えてしまいますが、結局私はどちらも好きです。

圧倒的に売れているのはレッチリだし、ドラマがあり、摩擦がなければ生まれない濃度の作品は、多作で悪く言えば節操のないマイクには作れないと思う。もちろんマイクの才能とユーモアはレッチリには持ちえない。

絞り出すタイプと湧き出るタイプ、どちらが所謂天才なのかというのはわかりません。
そういえば、絞り出していた究極のバンドはTheBeatles、湧き出るルーツ音楽にその身を委ねていたのがTheRollingStonesとも言えますね。きりがない!

CAKEというバンドを知って、大好きなレッチリとそのライバル(笑)について考えたことでした。ああ、だらだら書いてしまって中身は薄いな。精進します。

追伸・・そうこう言っている間にレッチリの新譜が発売!大人になって摩擦は控えめながら、ファンク等のルーツミュージックはより深度が増して最高でした。いよいよわからん。

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