『錦繍~入れ墨~』
◎人物表
三ツ谷幸洋(32歳) 会社員
三ツ谷亜紀(30歳) 幸洋の妻
西洋人風若者
インド人風若者
西洋人風高齢夫婦
現地人風若者
〇プールサイド
シンガポールのホテル『マリーナベイ・サンズ』のプールサイド。新
婚旅行でこのホテルに宿泊している三ツ谷幸洋(32歳)と亜紀(30歳)
がプールサイド備え付けのリクライニングチェアに寝転がっている。
サングラス越しにプールを眺めている幸洋。ガイドブックを読んでい
る亜紀。
幸洋「亜紀、先生いるぞ」
亜紀「ん?」
幸洋「ほら、あそこに先生」
亜紀「え、なに?」
亜紀、ガイドブックから顔を上げる。
亜紀「ん? 誰がいるって?」
幸洋「ほら、先生いるじゃん、あそこ」
亜紀「先生って、誰?」
幸洋「ほら」
幸洋、指をさす。亜紀、笑いながら
亜紀「ホントだ(笑)」
プールに腰かけている西洋人風若者の左肩に漢字で「先生」という入
れ墨。二人、目を見合わせて笑う。
幸洋「先生!」
亜紀「ちょっと、やめなよ」
幸洋「あれ、意味わかってねえよな」
亜紀、再びガイドブックに目を落とす。
幸洋「うわ! もっとすげえの見つけた!」
亜紀「え?」
亜紀、再び顔をあげる。
幸洋「ほら」
幸洋、視線を向ける。
亜紀「えええ!!(笑)」
インド人風の若者の背中に縦に「吉野家命」の入れ墨。
幸洋「吉野家命って(笑)」
亜紀「ヒンドゥー教って、確か牛食べちゃいけないんじゃない?」
幸洋「インド人ぽいけど、イスラム教かもな。てか、インド人、牛肉けっこう食べるらしいよ。牛肉の輸出量、世界一なんだよ、インドって」
亜紀「にしても…。大学の時、アイルランドからの留学生で漢字のタトゥ入れてる子がいて、あれも変だったなあ」
幸洋「なんて入れてたの?」
亜紀「年功序列」
幸洋「なんだそれ(笑)」
亜紀「漢字の形がかっこよかったんだって」
幸洋「薔薇とか髑髏(どくろ)とかだったらまだわかるけど」
亜紀「年功序列のくせに、敬語とか全然覚えようとしなかったけど」
幸洋「そんなもんだよ」
亜紀、再びガイドブックに目を移す。
幸洋「あ! あの人も漢字のタトゥー! 漢字のタトゥー流行ってんのかな。あれ何だろう?」
亜紀、再び目を上げる。
亜紀「え?」
幸洋「あれあれ」
亜紀「ん? あれなんて読むの?」
高齢の西洋人夫婦の夫の左肩に「錦繍」の入れ墨。
幸洋「めん… あ、にしきか!? きん、だ。きん… う~ん… あれなんだろう?」
亜紀「刺繍の繍じゃない、下の字」
幸洋「じゃ、きんしゅう?」
亜紀「そんな言葉ある?」
スマホで検索する幸洋。
幸洋「あ、あるある… ああ、美しい紅葉のたとえだって」
亜紀「しぶいね」
幸洋「日に焼けて真っ赤になってるから、ピッタリだな。雰囲気もたそがれてて。まあそんな意味もわかってないだろうけど」
幸洋、亜紀、目を見合わせて微笑み合う。
〇マーライオン公園(翌日)
マーライオンをバックに写真を撮っている幸洋と亜紀。そこへ西洋人
の一団がやってくる。マーライオンを指さしながら、一団に説明して
いる西洋人風若者。
幸洋「ああ、亜紀、ほら彼!」
亜紀「え、誰?」
幸洋「あのほら説明してる彼…」
亜紀「ああ…」
幸洋「先生、だよ」
亜紀「ああ、タトゥーの」
幸洋「ホント、なんかの先生なのかもな」
幸洋、亜紀、目を見合わせて微笑み合う。
〇ホテルのレストラン
ランチを食べている幸洋と亜紀。隣のテーブルに座るインド人風のカ
ップル。幸洋、亜紀に目くばせする。
幸洋「(ヒソヒソ声で)吉野家命」
亜紀、目を見開く。インド人風カップルのテーブルに料理が運ばれて
くる。料理を見てさらに大きく目を見開く幸洋と亜紀。インド人風カ
ップルの目の前に置かれた牛肉のステーキ。下を向き、上目遣いでお
互いを見合い、微笑む、幸洋と亜紀。
〇ビーチ(夕方)
水平線に陽が沈みかけたビーチを散歩する幸洋と亜紀。波打ち際に座
る高齢の西洋人夫婦を見かける。
幸洋「あれ、ほら、きんしゅう?の」
亜紀「あ…」
寄り添いくっついて座る高齢夫婦を赤い夕陽が照らす。
幸洋「きんしゅうのカップル」
亜紀「あんな風になれるかな、私たち」
幸洋「ふふッ… どうかな」
亜紀「ねえ!」
幸洋の左手をギュッと抱きしめる亜紀。再び老夫婦を見つめる二人。
その前を一人の現地人風の若者が通りすぎる。若者の左二の腕を見て
ドキリとする二人。そこには「じろじろ見てんじゃねえ」の入れ墨。
驚いて見つめ合う幸洋と亜紀。夕日に染まる二人の顔。
【完】
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?