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シン・ガンダムではなく、シン・宇宙世紀なジークアクスについて
--夢が、交わる。--
こんなにも興奮した映画はいつ以来だろう?
3年前のスラムダンク、もしくはシン・ゴジラ以来だろうか。
鶴巻和哉の最新作にして最高傑作になる予感がすでにある。
庵野秀明率いるスタジオカラーが制作していることもあって”シン・ガンダム”と揶揄する声もあるが、シンの冠をつけるとするのであれば”シン・宇宙世紀”だろう。
全てがガンダムというカルチャーに対して忠実であり、富野由悠季への愛に満ちていて、それでいて斬新さがある、最高のラブレターのような作品なのだ。
東宝のロゴから、バンナム、スタジオカラー(ウルトラマンのSE)、サンライズという何事かという始まりから最高のオープニングが待っている。
「人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになってすでに半世紀が過ぎていた。地球のまわりの巨大な人口都市は人類の第二の故郷となり,人々はそこで子を産み,育て,そして死んでいった。」
そう、これが観たかったんだ。
庵野秀明が称賛してやまない機動戦士ガンダムの第一話のリメイクだ。
全てが完璧としか言いようがないあのガンダムの1話が観られるんだ。
あの独特のタイトルSEで既にたまらないものがあるが、最高なのは冒頭のコロニー侵入シークエンスだ。
コロニーのハッチを開け侵入するザクが鉄くずにぶつかり慣性の法則で漂ったまま跳ね返るあのディティールだ。
これこそが”ガンダム”なんだ。
あの宇宙を実感できる夢のような映像体験がガンダムの本質なんだ。
富野由悠季作品以外のガンダムが好きになれないのはこれが欠けているからなんだ。
そんな笑っちゃうようなBeginningと称される序盤は庵野秀明のシン・シリーズのような作り手も観客も嬉しいシーンの連続だが、安彦良和のあの素晴らしいデザインが一変する中盤からがいよいよ本編となる。
さながらシン・ゴジラの「私は好きにした、君らも好きにしろ」と言われたかのようなそれ以降は新たなる世代を鼓舞するような祝祭感に溢れている。
ここからの本編が本当に面白いのだ。
「空は頭の上じゃなく、足の下にあるんだ。コロニー生まれの私たちは本物の重力も本物の空も知らない。もちろん、本物の海も−−」
コロニー生まれの私たちはスマートフォンが欠かせない世代だ。
全てが画面の中にしか無い、何もかもが終わった後の世代。
カルチャーの隆盛も知らない、関わることの出来なかった世代だ。
宇宙戦艦ヤマトも、ガンダムも、エヴァンゲリオンも、涼宮ハルヒも終わったあとに生まれた世代なんだ。
”偽物”のヒット作ばかりで、”本物”のカルチャーが足の下にある世代なんだ。
でもそんなSNS世代だって”本物”のカルチャーを体験する権利があるはずだ。
スマホとAIと闇バイトだけじゃない。
「よくわかんないけど、わかった!」
本物のガンダムに走り出す主人公に涙を押し止めることはできない。
物語はほんの序盤でこの先何が起こるかは検討もつかない。
一つ考察めいたことをしておくなら、シュウジというキャラ(渚カヲル過ぎて癖に刺さりまくりです)が匂いを気にしているのが注目ポイントだろう。
ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズではマリが匂いに言及するキャラクターで、彼女がシンジをアニメの世界から現実に連れ出して行くのだから。
匂いとは映像に映らないものなのだから、彼もまた現実の使者なのかも知れない。
設定だけを擦り続けて何もガンダムも富野由悠季の本質に触れない福井晴敏のユニコーン以降のガンダムに辟易していた身としてはまたしても本物のガンダムにリアルタイムで触れることが出来ることに興奮しない訳が無い。
本物のカルチャーの誕生の瞬間を見逃してはいけない。
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