13年前、祖母が自殺した時の話《1》

13年前、私が高校3年生の6月に母方の祖母が自殺した。

祖母とは二世帯住宅で同居していた。

母が朝出勤しようと思い、車庫のシャッターを開けたら祖母が首をつっていたと言う。

出勤したと思った母が家のインターホンを鳴らして、「母さんが車庫で首をつっている」と泣き叫んでいた。

私は父と妹とリビングで朝食を摂っていた。

父がすかさず119番通報したところ縄から祖母を下ろしておく様指示があった。

その間母は「もうダメだ、もうダメだ」と呟いていた。

救急車はすぐに来た。こんなに早く来るもんなんだなってくらい。

そんなこんなしている内に、いつも乗っていたバスの時間も過ぎ、高校に「祖母が危篤なので遅刻か欠席します」と連絡を入れた。妹にもそうするよう指示した。


何故自殺したのか


それは誰にも分からないけれど、元々精神疾患は持っていて精神科に通っていた。

度々自殺未遂も起こしていたらしい(私は気付いてなかった)

そもそも祖母と祖父は田舎で暮らしていたが、母が2人を残しておけないと言い、二世帯住宅を新築し、田舎から呼び寄せた。

祖母は、「自分の家も失って何もない、友達もいないしこんなところ来なければ良かった」と毎日のように私に文句を言っていた。

私は祖父母と同居するために中学1年生の冬に転校をさせられていた。

不本意な転校だった。

それまで父の仕事の都合での転校はあったが、その件は完全に両親と祖父母の都合だったからだ。

その上、新しい中学校には馴染めずいじめられ、家では祖母が怒り狂う毎日。

こんなところ来なければよかった、と言うだけならまだ良かった。

共同住宅に住んだこともない祖母は、私たちの足音1つ聞こえただけで怒鳴り込んで来た。

毎日足音を立てられない生活。

ドアの開け閉めも音を立てられない。

学校にも家にも、休まる場所は無かった。

話は逸れたが、祖母はそれくらいおかしくなっていた。

祖母が自殺したのは二世帯住宅に引っ越してから4年が過ぎた頃。

祖父が山菜採りに出かけて1週間ほど帰って来なかった。

当時祖父は携帯電話も持っておらず、いつ帰るとも言わず出かけていたし連絡もよこさなかったので祖母は「帰ってこないんじゃないか」「死んだんじゃないか」と心配していた。

自殺前夜、私たちのリビングに来て不安を漏らしていた。

母は風呂に入っていたので確か父が「あんまり帰って来なかったら警察に相談しましょうか」みたいなことを言っていたような。

私は日々の祖母のヒステリーにうんざりしていたので冷たくあしらった。

そして翌朝5時頃、祖母は車庫にあったブランデーを飲み干したあと首を吊って自殺した。


救急搬送後


父が祖母の体を縄から下ろしたときはまだ体が暖かかったそうだ。

その後救急車で大学病院へ運ばれた。

両親は救急車に乗れないと言われ、車で大学病院へ。

先述の通り私と妹は高校に遅刻か欠席しますと連絡した。

その後間もなく警察が来た。

事件性が無いかの確認をしなくてはいけないとのこと。

家にいたのは私と妹だけ、年長者の私が対応するしかなかった。

警察官のおじさんは私のことを心配していたのか、「高校どこ?」など、祖母とは関係ない質問をしてくれたっけ。

警察が帰った後、祖父母の部屋の固定電話が鳴った。

何も考えずに出ると、山菜採りに行ってるはずの祖父からであった。

「いま○○にいて、これから帰る」と言われたが、「もっと早く連絡くれてれば祖母は自殺しなかったかもしれないのに」と思いつつ、祖母が今朝首をつって大学病院に搬送されたことを伝えた。

祖父は「あの馬鹿…今から帰る」と言ったのを覚えている。

そして父から祖母の死亡が確認されたと連絡が来た。

その時の父の声はひどく暗かったのを覚えている。

その後帰宅した祖父に祖母の死亡確認について伝え、祖父の車で妹と3人で病院に向かった。






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