大人になるということを考えてみる
大人になるということについて、考えてみたいと思います。
「大人になる」ということについて、皆さんはどのようなイメージを持っているでしょうか?
年齢を重ねるということで肉体的・外見的な衰えをイメージする人もいるでしょう。
マスメディアやSNSにおける世代間の対立を煽るようなコンテンツの影響で、
大人への反感があるかもしれません。
ただ、人間は誰しも歳を取るということに抗えないので、
相応に大人になって行くことからも逃げてはいけないと思います。
そこで、今回は大人とはどういうことか、
2つの異なる見方から一つの結論を導いてみたいと思います。
一つ目。A君・B君の目の前に饅頭が2つあるとしましょう。
A君は「2つとも自分が食べたい」と言って譲らない。B君は「そんなに言うなら自分はいいよ」と言う。
B君の損をかぶる覚悟を大人というでしょう。A君の自分の得しか考えない根性をワガママ・子供っぽいというでしょう。
これは「大人」がポジティブに使われる例です。
二つ目。「大人になるということは夢や成功を諦めることだ」というように、
一見ネガティブな文脈で大人という言葉が使われることもあります。
プロ野球選手は望むだけでは決してなれないし、
どんなに正しい努力をしてもなれるのは一握りです。
その一握りになれない人は大抵どこかで折り合いをつけ、
相応の自分の人生を見つけることになります。
諦めずに旬を過ぎた年齢になっても夢を追い続けることは、
美しいかもしれないし見苦しいかもしれません。
しかしそれは他人から見た評価・感想であり、
大切なのは本人がトータルで後悔よりも満足が上回れるか(≒人生に勝てるか)
ということだと思います。
実は、この「諦める」という言葉、元々は「明らむ(明らかにする)」という言葉が語源という説があります。
また、「諦」という漢字も仏教の言葉で、真理・道理という意味があるようです。
できないということを明らかにする。
どういう選択が利益を最大化・損失を最小化するかを明らかにする。
目先の欲求や利益だけでなく、戦略的・大局的な視座に立って、
経験や知識に基づいた正しい判断ができるようになること。
「大人になる=諦める」とはそういう意味ではないかと思います。
ここで、一つ目の話と繋がります。
そのように考えると一つ目の話のB君は目先の損を被って、
トータルな得(A君や周りからの評価獲得、トラブルや怨恨の回避)を取ったと言えるかもしれません。
大人になるとは、目先のよりも大局的な損得を考えて判断・行動できるようになるということ。
大人になるという表現がポジティブに感じられてきませんか?