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受け継がれゆく神楽
2019年1月。村に来て2回目の冬。1年目はとにかく村のことを知る!と決めていた私は、国重要無形民俗文化財にも指定されている神楽をすべて見ることにした。ありがたいことに12月の練習(舞習い)から見せていただいた祭りもあって、とにかく本番が楽しみで仕方なかったことを覚えている。こんな山奥で600年近くも受け継がれているなんて、一体どんな祭りだろうと。
目に見える「祭り」という舞台の裏側に積み重なっているであろう、受け継がれてきた伝承の世界や、舞の美しさにすっかり魅了されてしまった自分がいた。一体、何にここまで心が動かされたのか、言葉ではうまく言い表せないけれど、これが「心で感じる」ということなのだろうし、言葉にできない感覚をそのまま受け入れるってことも大事なのではないだろうか。
これをきっかけに、村の祭りにフォーカスした活動が増えていくこととなった。単純にこの祭りを「人口減少・過疎高齢化」という理由だけで終わらせてしまいたくない、と強く感じたことが理由のひとつだった。住む人がいなくなれば地区も祭りもなくなる。祭りを見る人がいなくなれば、ただ忘れられていくだけ。少しでもなんとかできないものだろうか。
「祭りが終われば地区も終わる」と、とある講義の中で聞いた言葉がありありと蘇る。そういえば、祭りの練習を見せていただいたときに、地区の長老のような方が同じことを仰っていた。田舎における人間関係は都会のようにスマートにはいかない。でも、祭りをはじめとして、その「ちょっとした面倒くささ」の中に大切なことが詰まっているのではないだろうか?
祭りは地域のコミニュティの柱であり、子供たちにとっては社会勉強の場なのだ。