2024/07/05 無の時間

・忙しすぎると無の時間になることがある。
これは何も考えていないという「無」ではなく、忙しいゆえにめちゃくちゃいろいろ考えているのだが、その時考えていたことやしていたことがすべて「無」になってしまうのだ。 
 例えばその時間に何かしらのミスがあり、「これなんでこうなったの?」と聞かれても「多分こう考えててこう行動したからこうなったんだと思います……」みたいなぼんやりとした回答しかできない。
 自分だったらそんな人間と仕事はしたくないし普通にプライベートでも関わりたくなさすぎる。

・ぼんやりと「今の労働には向いてないんだろうな……」と思うことは多々あるが、果たして自分に向いている労働があるのかどうかすら定かではないので、置かれた場所で咲くしかないんだよな。蕾のまま終わろうとも。

・よく頭の中で「自分はただ生き息しているだけの動く肉塊だ……」と思って落ち込むことがあり、そのたびに「でも生きるためには労働をしなければならないので、自分が死ぬまでの間、皆様には多大なご迷惑をおかけしますが、何卒、何卒ご容赦ください……」と思っている。
 これは一見「謙虚で腰の低い自己肯定感低人間」のように見えるが、実際のところは「あまりにも自己中心的で自己愛が強く、他人に迷惑をかけることをいとわないカス人間」の戯言でしかない。
 自分が生きるために生じる障害は自身によって取り除くべきであり、それを他人に解消させたり、ましてや他人に転嫁するなど愚の骨頂と言って余りあるのだが、持ち前の自己肯定感の低さと自己愛の高さによりある種の他責思考を実現してしまっている。

・この自分の例を見るに、自罰的思考と他責思考は一見相対するように見え、その実根底には共通する部分があるため両立しうるのだなぁと少し不思議な気持ちになる。

・不思議な気持ちで思い出したが、僕は自分の人生のことを割と主観ではなく俯瞰的に見る傾向があるように思われる。
 これが適切な例かはわからないが、「まぁ死ぬときは死ぬし」といった刹那的な思考や、人とした会話を反芻してありえた会話のパターンをシミュレーションする行動、など
 ここまで書いて思ったが、普通にただ人見知りのニヒリストかもしれないな、これ。

・遅ればせながらミッドサマーを見た。面白かった。
 ミッドサマーが流行っていた時期にTwitterで、「ミッドサマーの恐怖感は日本人には共感しづらい」というようなツイートを見かけた記憶があるが、まさしくその通りだと実際に鑑賞して感じた。
 日本人は比較的「神によって救われる」といったような宗教観が薄い民族であると僕は感じており、その色が強い宗教を(ほぼイデオロギー的に)信仰している人々からすると、我々は大分異色に見えるのかもしれない。
 また、ミッドサマー自体がジャパニーズホラー的な少々ジメッとした雰囲気を持っていることや、日本のムラ的な宗教観に近いものとして演出されているように感じたので、その点において日本人からすると「あるある」だったり、「もうみた」的な感想に帰結してしまうのかもしれない。
 さらに言えば、僕は専門家ではないので正しく言葉をつかえているかはわからないが、若干アミニズム的な宗教観が表現されているように見受けられた。
 それこそイデオロギー的に日本人はアミニズム的宗教観を持っていることが多いため、そういった観点からしても日本人はあまり違和感なくミッドサマーを鑑賞できてしまうのではないだろうか。

・僕のミッドサマーの感想としては、ちょっとグロいシーンがあるシュール系ギャグホラーだった。

・にじGTAが世界で一番面白すぎる。まだアーカイブ追ってます。いろんな視点で。


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