コロナ禍で思うこと。
「今、医療現場は大変だよね」
ある時、何の気なしに言われた言葉にモヤっとしました。
”この人は一体、何を知ってんの?”
そして咄嗟に「“今”が大変なんじゃない、医療現場はいつだって大変なんだよ」と反論してしまいました。普段なら絶対にそんなこと言いません。だってその人は実際に医療者として働いているわけじゃありませんから、知らないのは当たり前じゃないですか。でも、言ってしまったんです。きっと心に余裕がなかったんだと思います。
それから一呼吸置いて、コロナが蔓延し始めてからずっと自分が思っていることを綴ってみたら心がすっきりするのかもしれないと思い、今この記事を書くに至っています。
医療者として勤務されている方、そうでない方。この記事を読んで多々思うことはあるかもしれませんし、「何言ってんだこいつ」と思われる方も少なからずいるでしょう。ですが「こう思っている人もいるんだ」と寛大な心で読んで頂ければ幸いです。
私は急性期病院に勤務する3年目の看護師です。新人からの2年半は地域包括ケア病棟、現在は脳神経外科・神経内科で勤務し、毎日汗水垂らしてひぃひぃ言いながら忙しい日々を送っています。
…え、コロナ病棟に勤務してるわけじゃないの?
そうですよね。この話題に触れているんですから、当然コロナ最前線で働いている人間だと思いますよね。違います。普通の一般病棟です。ですが、自分がこの話題に触れてもいい立場にあると考えている理由もちゃんとあります。
以前勤めていた地域包括ケア病棟は今、コロナ病棟として稼働しています。それは私が現在の病棟に異動してすぐ後のことで、私自身まさかそんなことになるなんて、と驚きを隠せませんでした。
でも私自身がコロナに全くの無関係というわけではなく、実際に偽陽性の患者様を何度か受け持ち、ケアをさせて頂いたことがあります。1年近く前、新型コロナウィルスという未知のウイルスが感染拡大の兆しを見せ、全国各地が右往左往していた頃の話です。陽性か陰性か分からない状況なので、私たちは彼らを「陽性患者」と見なした上(表現が正しいか分かりませんが)で接しなければなりませんでした。
しんどかった。そして何より、怖かった。
息苦しいN95マスクを付け、脱ぎ着だけで時間を食う防護服を身に纏い、視界を遮るフェイスシールドに鬱陶しさを感じながらの業務。たった30分検温やケアをしただけで汗だくでしたし、肌はマスクで荒れ、見えない病原菌にいつどこで感染するか分からない恐怖と隣り合わせでした。でも、何よりつらかったのは、
「他に何かありませんか?」
と患者様に声を掛けることでした。え、そんなの普通でしょ。もちろん一般病棟に勤めている今も患者様にそう尋ねることは多々ありますし、用事がないか訊くのは当たり前のことです。
ですが、この時私たちが掛ける「他に何かありませんか?」は、別の意味を孕んでいたんです。
感染リスクは元より、コスト的な面からも、入室したら可能な限りケアをまとめて行うようにと言われていました。ナースコールは最小限になるよう看護師側から配慮するように、と。つまり、
「他に何も無いですか?本当にないですか?あるなら今のうちに言って下さい。じゃないと、また時間を掛けて防護服来たりマスク付けたりしないといけなくなるので大変なんです」
という念押しする意味合いを含んでいたんです。正直何でこんなこと訊かなきゃいけないんだ、と思っていました。だって、ナースコールは患者側からのサイン。トイレに連れて行って欲しい、下着を変えて欲しい、痰を取って欲しい、痛いから薬が欲しい、様々な訴えを私たち看護師に伝える大事な手段なんです。必要な時、いつだって鳴らしていい物のはずなんです。なのにそれを看護師が「できるだけ鳴らすのは最小限に」と制限するなんておかしな話じゃないですか。
でも、そうせざるを得なかったんです。
「ごめんね」と謝るのも疲れて、でも謝らないと罪悪感だけが残る、そんな日々でした。
コロナ病棟でずっと働いている先輩も「いつまでこんなのが続くんだろう」と疲労感を滲ませています。現場は既に、というかとっくの昔に、肉体的にも精神的にも限界を迎えているんです。そのことを、どれだけの人が理解してくれているのでしょうか。
あの時異動しなければ、私も同じ立場にあったはずです。今も最前線で戦っている医療者の方には、本当に頭が上がりません。くれぐれも体調に気をつけて欲しいと常日頃から願っています。
徐々に感染者数が減少の一途を辿っている今。次に緊急事態宣言が解除された後、どれだけ感染の再拡大が起きてしまうのか、私は怖くてたまりません。
コロナ禍で思うこと(1)、終わり。