イヤフォンとスマホと不幸な私たち
東京に2ヶ月ほど滞在して違和感を感じたことがある。
街ですれ違う人、カフェにいる人、本屋で見る人、電車に座っている人の多くの耳にはイヤフォンがされている。
私がさほど違和感を感じなかったのかもしれないが、数年前まではイヤフォンをつけて歩いている人の数は少なかったように感じる。
ワイヤレスイヤフォンなどが出始め、より簡単にそして便利にイヤフォン生活を楽しむことができるようになった。
日頃私たちはどれくらいの時間イヤフォンをつけて生活をしているだろうか?今日の通学・通勤の際にあなたの耳にはイヤフォンがはめられていただろうか?
自分が1日にイヤフォンを使用する瞬間を思い出してほしい。
私自身イヤフォンのヘビーユーザーなのだが、イヤフォンを使用している時は周りから遮断され、自分だけの空間が作られたような錯覚に陥る。
その周囲から切り離された空気感がなんとも言えない安心感でやみつきになっていた。
しかし、電車の中で大勢の人がケータイを見ながらイヤフォンをかけている状況を目にした時になんだか悲しく思った。
誰もが自分の世界に入りこみ、目の前で起きていることには目もくれない。
どこか自己中心的で他人には1ミリの興味もないといったような態度が私の目には悲しく映ったのだろう。
* * *
私はケータイばかり触っている人が嫌いだ。特に恋人や友人同士で一緒にいるのにケータイをしきりに確認して目の前に座っている私をそっちのけにするような態度の人は苛立つ。
普段から私生活の中でケータイを触らないように意識している。
ケータイなんかという小さな機械に目を向けるよりも外の景色や、人の行動や表情を見ている方が楽しいからだ。今この瞬間にしか見れない景色を私は楽しみたいのだ。
ケータイだけではなく、イヤフォンという革命的な商品が生み出されて私たちは、より1人の世界に入りこみやすくなった。
胸が少しざわつく。
外に出てこんなにもケータイやイヤフォンをしているのは日本だけのような気がする。私の住んでいるオーストラリアでは電車に乗っていてもイヤフォンをしてケータイを見つめている人は限りなく少ない。もっと皆んな会話を楽しんだり景色を楽しんだりしている。
昔は日本人ももう少し他人に興味を示して生きていた気がする。
ただ単に音楽を楽しみたくてつけている人もいると思うし、電車のなかの隙間時間にニュースに触れておきたい、メールを返信しておきたいなど使用する理由は様々だろう。しかし、その他人そっちのけな態度は少し違和感がある。
この文章は一体どこに向かって走っているのかそろそろ自分でも分からなくなってきたが、伝えたかったことは他人に興味を示さなくなってしまった日本人がなんだか悲しく見えたということだ。
日本に訪れたオーストラリアの友人が私に言った言葉を思い出した。
「日本人ってなんか不幸そうだよね」
終わり。
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