『大丈夫じゃない』自分の方が人生楽しんでない?
周りから『大丈夫』と言われていた時よりも、『大丈夫じゃない』と思っている今の方が楽しいと思い始めたのは最近のことだ。
幼い頃から家庭環境のせいなのか同年代の子に比べて大人びた性格をしていた私。小学校、中学、高校と変わらず周りの大人からは『この歳なのにしっかりしていてすごいね』と言われてきた。
いったい私の何を見て『すごい』だとか『将来はすごい大人になる』とかいう言葉を発したのかは謎だが、子供ながらに『私はすごいんだぁ。大丈夫なんだぁ』と暗示にかかった。
それが幼い頃だけに限らず大学生となった今でも言われ続けているのだから、見た目はしっかりしているように見えるのだろう。
ある程度成長してから『あなたなら大丈夫だよ。しっかりしているから』と他人に言われる度にその言葉がプレッシャーとなり、周りが望むような人間になろうとした。
(今思うと、周りが望んでいる人間ってどんな人間だよ、自分の人生自分で生きろよっ!とツッコミを入れてしまいたいような目標だが...)
そんな『大丈夫だと思われている人間』が悩みを打ち明けたり、相談することは相手の期待と『大丈夫』な幻想を生きている私を裏切ってしまいそうで、そんな自分を知りたくなくて周りの人間に助けを求める行為はしてこなかった。
長い間私は周りからすごいと思われる人間にならなくてはいけないと見栄えだけは良くしようと頑張っていたが、内心自分は周りが言うほど大丈夫ではないことは薄々気づいていた。
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本格的に自分が『大丈夫』な状態ではないことに気が付いたのは大学2年生の途中だった。(割と最近)
以前は誰かに自分の弱い部分を見せて『助けてくれないか』の一言も言えなかった私だが、その頃から仲良くしてくれる友人や先輩、学生時代の先生に連絡をして、その人たちの前で人生相談を自分から始めるようになった。
自分から相談出来るようになったのは、大前提に『私は凄くもないし、大丈夫でもない』ことを理解するようになったのがきっかけだろう。
子供の頃から言われてきた言葉はなかなか消すことは出来ず、頭にこびりついた『私は大丈夫』の呪文は強いカビのように落とすのには時間がかかった。
やっと呪文から解放されると、私は今まで他人が想像している『大丈夫な私』という幻想の中で生きていたことに気が付いた。
私には秀でた才能や興味分野がある訳でもない至って普通の大学生なのだ。このまま幻想の自分を見て生きていたらそれこそ大丈夫ではない将来が見えてくる。
それ以来周囲の思う『大丈夫な私』ではなく、ありのままの『大丈夫ではない私』を助けて欲しくて色んな人に相談をした。
自分の口で今の状況説明や困っていることを話すと、自然と自分の頭の中でも整理がついて、人生を客観視しやすくなった。
相談相手からは真剣な回答が返ってくるし、その人が生きてきた人生も垣間見える部分もあって、相談しないで生きていた頃より何倍も人間らいし楽しい。
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他人の評価は確かに気になるし、いつだって『大丈夫』な自分でいたいとは思う。でもきっと『大丈夫』な自分なんていつになってもなれないだろうし、逆に『大丈夫』であって欲しくはない。なぜなら『大丈夫ではない』時の方が本気で自分の人生に向き合っているし、色んな人に縁があって出会えたから。
なぁんだ大丈夫じゃない方が数倍生き生きしているじゃん、私。
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